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   <title>文化会議</title>
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   <title>特集</title>
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   <published>2009-03-26T14:48:29Z</published>
   <updated>2009-03-06T01:18:23Z</updated>
   
   <summary>        　                            　  ...</summary>
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      <![CDATA[<center/> <a href="http://www.bunka-kaigi.com/archives/002special/026/"><img alt="bottle_doctor200903.png" src="http://www.bunka-kaigi.com/images/bottle_doctor200903.png" width="500" height="100" /></a></center>
<center/> <a href="http://www.bunka-kaigi.com/archives/002special/25/"><img alt="kiritooshi.jpg" src="http://www.bunka-kaigi.com/images/kiritooshi.jpg"  width="500" height="100" /></a></center>
<center/> <a href="http://www.bunka-kaigi.com/archives/002special/24/"><img alt="tetsuya_mizuguvhi_banner.jpg" src="http://www.bunka-kaigi.com/images/tetsuya_mizuguvhi_banner.jpg" width="500" height="100" /></a></center>
<center/> <a href="http://www.bunka-kaigi.com/archives/002special/23/"><img alt="芥川喜好" src="http://www.bunka-kaigi.com/images/akutagawa_kiyoshi.jpg" width="500" height="100" /></a></center>
<center/>　<a href="http://www.bunka-kaigi.com/archives/002special/22/"><img alt="佐藤真理子" src="http://www.bunka-kaigi.com/images/sato_mariko.jpg" width="500" height="100" /></a> </center>
<center/> <a href="http://www.bunka-kaigi.com/archives/002special/21/"><img alt="ドクター中松" src="http://www.bunka-kaigi.com/images/nakamatsu.jpg" width="500" height="100" /></a> </center>
<center/><a href="http://www.bunka-kaigi.com/archives/002special/020_1/"><img alt="王様" src="http://www.bunka-kaigi.com/images/OOSAMA_BANNER.jpg" width="500" height="100" /></a></center>
<center/> <a href="http://www.bunka-kaigi.com/archives/002special/019_1/"><img alt="iizawa_banner.jpg" src="http://www.bunka-kaigi.com/images/iizawa_banner.jpg" width="500" height="100" /></a></center>
<center/> <a href="http://www.bunka-kaigi.com/archives/002special/018_1/"><img alt="sgimada_banner.jpg" src="http://www.bunka-kaigi.com/images/sgimada_banner.jpg" width="500" height="100"/></a></center>
<center> <a href="http://www.bunka-kaigi.com/archives/002special/17/"><img alt="arai_big.jpg" src="http://www.bunka-kaigi.com/images/arai_big.jpg" width="500" height="100" /></a> </center>
<center>  <a href="http://www.bunka-kaigi.com/archives/002special/15/"><img alt="高崎" src="http://www.bunka-kaigi.com/images/takasaki.jpg" width="250" height="100" /></a>  
 <a href="http://www.bunka-kaigi.com/archives/002special/16/"><img alt="平岡" src="http://www.bunka-kaigi.com/images/hiraoka.jpg" width="250" height="100"/></a></center>
<center>  <a href="http://www.bunka-kaigi.com/archives/002special/14/"><img alt="momo.jpg" src="http://www.bunka-kaigi.com/images/momo.jpg" width="250" height="100" /></a>  
 <a href="http://www.bunka-kaigi.com/archives/002special/13/"><img alt="作家　森詠" src="http://www.bunka-kaigi.com/images/small_moriei.jpg" width="250" height="100"/></a></center>
<center>  <a href="http://www.bunka-kaigi.com/archives/002special/12/">　<img alt="nakajima.jpg" src="http://www.bunka-kaigi.com/images/nakajima_mini.jpg"/></a><a href="http://www.bunka-kaigi.com/archives/002special/11/"><img alt="anzai.jpg" src="http://www.bunka-kaigi.com/images/anzai_minibanner.jpg"/></a></center> <center>  <a href="http://www.bunka-kaigi.com/archives/002special/10/"> <img alt="haktyou.jpg" src="http://www.bunka-kaigi.com/images/ishizaka_mini.jpg"/></a><a href="http://www.bunka-kaigi.com/archives/002special/9/"><img alt="三遊亭白鳥" src="http://www.bunka-kaigi.com/images/sanyuutei_mini.jpg"/> </a></center><center><a href="http://www.bunka-kaigi.com/archives/002special/8/"><img alt="中沢けい" src="http://www.bunka-kaigi.com/images/nakazawa_mini.jpg"/> </a> <a href="http://www.bunka-kaigi.com/archives/002special/7/"><img alt="波多野哲朗" src="http://www.bunka-kaigi.com/images/hatano_mini.jpg"/> </a></center> 
<center>  <a href="http://www.bunka-kaigi.com/archives/002special/6/"><img alt="編集者　津野海太郎" src="http://www.bunka-kaigi.com/images/tsuno_mini.jpg"/> </a>　 <a href="http://www.bunka-kaigi.com/archives/002special/4/"><img alt="作家　群ようこ" src="http://www.bunka-kaigi.com/images/mure_mini.jpg"/></a> </center> 
<center><a href="http://www.bunka-kaigi.com/archives/002special/3/"><img alt="matsumoto_banner.jpg" src="http://www.bunka-kaigi.com/images/mtsumoto_mini.jpg"/></a>
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 </center> 
<center> <a href="http://www.bunka-kaigi.com/archives/002special/1/"><img alt="siri_banner.jpg" src="http://www.bunka-kaigi.com/images/siri_banner.jpg" width="500" height="100" /></a>
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   <title>びん博士インタビュー（５）</title>
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   <published>2009-03-04T02:09:58Z</published>
   <updated>2009-03-07T13:08:01Z</updated>
   
   <summary> 牛田：今までどんな方がボトル・シアターを尋ねたのですか。 びん博士：ほんとうに...</summary>
   <author>
      <name>牛田</name>
      
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      <![CDATA[<a href="http://www.bunka-kaigi.com/archives/002special/026/"><img alt="bottle_doctor200903.png" src="http://www.bunka-kaigi.com/images/bottle_doctor200903.png" width="500" height="100" /></a>

牛田：今までどんな方がボトル・シアターを尋ねたのですか。
<br>
びん博士：ほんとうにさまざまな人たちです。本を読んでいらした方、そうそう瓶好きの刑事さんもいらしたことがありますね。興味のあった指紋検出用瓶のことを逆にいろいろ聞いてしまいましたね。テレビを見ていらした人もいますね。いつぞやはおもむろにハンドバックから香水瓶をとり出し、オジとの不倫愛の思い出の香水瓶なのですが、預かって欲しいっていう人もいましたね。
<br>

<img alt="411.png" src="http://www.bunka-kaigi.com/images/411.png" width="500" height="375" />
]]>
      <![CDATA[<br>
牛田：ひとつの瓶でもいろいろ物語があって面白いですね。
<br>
びん博士：瓶を持っていた人のエピソードもあるし、また本来の瓶自体のドラマもありますからね。瓶の歴史をひもといていくと、自分は瓶の収集をしているのではなくて、産業史や人間ドラマの研究をしているのかなって錯覚に陥ることがありますね。でも横道にそれることはありなので、今執筆している「日本びん図鑑」は、そんな何でもありの幻想の書にしたいという気持ちがあります。
<br>
牛田：映画でもなにげなく瓶は置かれていますよね。
<br>
びん博士：小津安二郎の作品にも瓶がよく出てきますよね。ああいう日常のなかにある瓶っていうのがいいなって思うのですよ。瓶の最盛期って実は主に明治40年代から大正時代なのですね。その当時は何でも容器は瓶で、役割の機能はもちろんのことですが、商品として人目を引くみばえ、つまりデザイン的にも優れているのですよ。小津さんの映画だと昭和10年代の街の路地裏に耐酸瓶なんかが置かれているとか、その日常風景が実に瓶で見事に演出されていたりするのですよ。ところで宮澤賢治も瓶というか硝子ものに惹かれていたようです。雑貨屋に置かれた硝子製蠅採り器の向気ない描写など短編中で読んだことがありますね。それが妙にリアルなのです。
<br>
牛田：時代劇に瓶がでてきませんね。
<br>
びん博士：江戸時代はすごく貴重なものでしたからね。ギヤマン問屋と呼ばれていた加賀屋と上総屋は有名ですね。そこで作られた硝子製品はどれも高級品でしたから、一般の庶民には手のとどかないものでしたね。江戸期にも硝子瓶は作られましたが、庶民の器として使用出来るようになったのは明治10、20年代頃からですね。江戸時代にはガラスはビードロと呼ばれすごく薄手に作られていました。それらは言うなれば玩具の扱いだったのですね。日常の用途に堪えられるというものではなかったのですよ。
<br>
牛田：瓶が作られる背景には、器を必要としていたってことがあると思いますが、瓶の以前には何を代用としていたのですか。
<br>
びん博士：陶器です。軟膏薬などは貝殻に入れてありましたね。目薬は塗り薬だったので、やはり貝殻に入れていましたね。粉薬というのも多かったので、紙袋を使用しているものが大半でしたね。
<br>
牛田：薬瓶なんかもそのままリサイクルしていたのですか。
<br>
びん博士：ほとんどリサイクルするのではなくて、瓶商が選別してから、大半は粉々にガラス屑にして原材料にしていました。一升瓶などは、そのままリサイクルでしたね。当時「通い瓶」というのがありまして、一升瓶や牛乳瓶などもそうなのですが、酒屋で計り売りしてもらったり、牧場に行って牛乳を入れてもらうというのがありました。投薬瓶なども「通い瓶」のひとつでした。病院にいって処方してもらった薬を入れてもらったのです。
<br>
牛田：瓶の色にもなにか特色があるのですか。茶色瓶が多くあるので、遮光性のためかなとも思うのですが。
<br>
びん博士：もともとは白瓶、茶瓶、青瓶、というのがあって、白瓶は中身が見えるためのものです。茶瓶と青瓶は言われるように遮光性で紫外線などを防ぐものであり、内容物が変容しないようにするためのものです。明治にどうやら一時期青瓶のブームがあったらしいのですよ。西洋を感じさせてエキゾチックな色だっていうことだったのですね。当時瓶は硝子の屑で作られていたのです。今では製品はちょっとでも色が違ったらセンサーではねられてしまいます。ことに戦前は資材不足でしたから、どんな色の硝子屑でもかまわずに使っていて、あるときは混ぜていたのですよ。だから微妙に色が異なっていて、かえってそれが美しいのです。
<br>
牛田：どうして古い瓶がここにあるのかっていう鼻がきくのですか。
<br>
びん博士：収集しているうちにわかってきますね。特に瓶は割れ物で危険だという意識があったのでしょうか。昔は竹藪なんかに捨てていたみたいです。竹藪は素足では人は入れませんからね。竹藪といっても道路に面しているところから多く出てきますね。投げ捨てやすかったからですね。だから竹藪で斜面っていう場所には瓶が多く眠っていますね。
<br>
牛田：通報されたりしたことはないのですか？
<br>
びん博士：通報まではないのですが、人が来て「何しているの？」って聞かれるから「瓶探しています」と説明するのだけれど、信じてもらえず半信半疑って顔色にとまどったり。そうそう一度警官に職務質問されたこともありました。
<br>
牛田：中身の入っている瓶は集めないのですか？
<br>
びん博士：基本的に中身が入っている瓶にはあまり興味ないのです。よく製品として中身が入ってラベルが貼られた瓶を写真に撮ってきれいだろうという人がいますけど、それでは単に商品目録の写真のように思ってしまうのですよ。空き瓶は無用になってこそ、この世のなかと縁がなくなり過去のものになってこその存在なのですよ。現在のものとして存在する商品ではないところにこそ魅力を感じています。瓶というのはいわば幻想世界なのです。
<br>
牛田：とてもロマンティックですね。
<br>
びん博士：瓶っていうのは日本ではそれほど注目されなかったのですが、アメリカでは親子三代にわたって瓶の歴史本を書いている人もいるのですよ。アメリカで瓶が注目されたのは、西部開拓時代、ゴールドラッシュで廃墟となった街に散乱していた瓶たちの風景が、なにか象徴的で様になっていたことが背景にあったと思われます。人間がそこに生活していたというまぎれもない過去の証しがあったわけです。だからそうした西部の砂漠のなかに瓶があるというのは、まさに「強者どもの夢の跡」っていいたい風情が粋だったわけです。荒くれ男たちの夢の跡であり、人の欲望の空しさそのものであったり、また諸行無常の詩情（ポエジー）にもなりえたのですよ。ですから歴史の浅いアメリカではいち早く瓶に人々の目は引きつけられたのだと思うのです。つまりアメリカ人は瓶のなかにある種の郷愁とロマンを見たのだと思います。そこに人間が生きたという証しを見たのです。どんな人も生活も時が過ぎれば夢幻（ゆめまぼろし）。その意味で瓶は人間の切ない痕跡と重なるのですよ。
<br>
牛田：ありがとうございました。
]]>
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   <title>びん博士インタビュー（４）</title>
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   <published>2009-03-04T02:07:23Z</published>
   <updated>2009-03-08T01:41:57Z</updated>
   
   <summary> 牛田：これは何ですか？ びん博士：標本箱に瓶が入っているのですよ。水戸で行われ...</summary>
   <author>
      <name>牛田</name>
      
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      <![CDATA[<a href="http://www.bunka-kaigi.com/archives/002special/026/"><img alt="bottle_doctor200903.png" src="http://www.bunka-kaigi.com/images/bottle_doctor200903.png" width="500" height="100" /></a>



牛田：これは何ですか？
<br>
びん博士：標本箱に瓶が入っているのですよ。水戸で行われた展覧会のときに作ったものです。資生堂がまだ西洋薬舗資生堂と名乗って薬を売っていたときの時代のものです。これは西南戦争のときにばか売れしたといわれています。その頃、何にでも効く万能薬として市販されていたのですよ。でも実はモルヒネとか、強烈な薬が入っていたのです。戦争時はすべてが緊急でしたから、一発で効かないと駄目なのです。とにかく爆発的に売れたのですね。「神薬」とか言うと、いかにも日本の薬っぽい名前ですけど違うのですね。

<img alt="432.png" src="http://www.bunka-kaigi.com/images/432.png" width="500" height="375" />

]]>
      <![CDATA[<br>
牛田：日本の薬ではないのですか？
<br>
びん博士：「神薬」っていうのは洋薬だったのです。明治の初めには和漢薬が一般であった。地方の置薬なんかが扱ったのもそうなのですけど。明治期になると西洋の薬学をとりいれようという動きが出てきました。順天堂医院の創始者佐藤尚中、後に医学所頭取になった松本順などが政府の意向で洋薬を広めようとしたのです。そしてその弟子で資生堂を創立した福原有信もその運動に一役買ったのでした。その後福原は医学者としてよりも事業家として成功していきます。一般に洋薬の代表選手として売り出された「神薬」は、「薬効神の如し」というのがルーツなのですが、徐々に日本全国へと広まっていきました。政府は西洋の薬としてこれを作り、福原を通して日本全土に洋薬を普及させようとしたのですね。明治10年代のことです。この「神薬」の内容物というのは、一体なにかっていうと、もともとはコロロダインっていう、西洋では劇薬とされた薬をもとにしているのですね。産業革命のときに、イギリスでは労働力が足りなかったことで、女性が労働者としてかりだされました。ところが子どもを預ける場所がなかったので、働いている間は子どもを眠らせてしまおうってことで、その時に使われたのがコロロダインなのですよ。もちろん麻薬ですから、赤ちゃんがおかしくなってしまって、薬害がおきてしまったのですけれど、それを何らかのかたちで処方を変えてわが国では「神薬」として普及させたのです。当初はかなり危険な薬だったのですけど、その即効性によって西南戦争のときには爆発的に売れたのですよ。
<br>
牛田：今でもあると思うのですが、祖父母の家には常に置き薬がありました。幼いときにそれで遊んでいたらとても怒られた記憶があります。
<br>
びん博士；そうです。日本では置き薬のネットワークがあったのですよ。つまり富山とか、奈良とかの置き薬です。それが相当に根強い販売網をもっていたので、政府はいろいろと手を尽くしてもなかなか入りこめなかった。しかし、それでも政府は無理にも進めていくことをしたのですよ。その結果、和漢薬を扱っていた置き薬の業者の中には、ノイローゼになって自殺する者がでるっていう騒ぎになった。でも少したってくると、一般の人たちは西洋の薬といってもたいしたことないじゃないかってことになって、むしろ和漢薬のほうが、効用があるのじゃないかっていうことになってゆく。それでまた置き薬は復活してきます。政府が進めた「神薬」は衰退していくのですけど、今度は置き薬のなかに「神薬」は生きのびていきます。その後「神薬」は酔い止めの気付け薬として活躍する。それが民間レベルで全国に普及していきます。でもクロロフォルムの成分が入っていたということで、「神薬」は昭和30年代には禁止を受け廃れていきます。
<br>
牛田：芸人の自伝なんかを読むと戦前、戦中、戦後とヒロポン中毒で悩んでいたことが書かれていました。
<br>
びん博士：ヒロポンはさておき、アルカロイド系の薬っていうのがあるのですよ。アルカロイドっていうのは、いわゆる麻薬なのです。作家の星新一の父親、星一が星製薬を創業しました。明治43年の創業です。そしてそこがわが国で初めて国産アルカロイドの開発を一手に引き受けたのですね。しかし星一は身に覚えのない濡れ衣事件に巻き込まれて壮絶な人生を送る。それを思い出しました。で、ヒロポンなのですが、あれは塩酸エフェドリンの入っている覚醒剤でした。それが昭和20年代まで公然と市販されていたのですよ。戦後はみんな体力がなかったのです。それで必要だったのですよ。今はおそろしい覚醒剤とはいえ、当時労働者はそれに頼らざるをえなかったのです。学生も受験のときに使用したりもしたのですよ。芸人さんはヒロポンを使用していることが一つのステイタスなんていう時期もありました。昭和20年代後半になると取り締まりが厳しくなり消えていきました。ヒロポンの瓶はとっても小さいのですよ。小さいサイズというのは日本の瓶の特徴ですね。
<br>
牛田：瓶の変遷と時代考証は面白いですね。
<br>
びん博士：映画やテレビなどの制作会社の小道具係りから問い合わせがきたりしますね。例えば、歴史上の人物が自殺しようとしたときの毒薬の瓶とか、昭和30年代に心中に使われた睡眠薬の瓶とかの問い合わせですね。また遺跡調査からの問い合わせもほとんどこちらにまわってくるので、これは予想しなかった展開です（笑）。
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   <title>びん博士インタビュー（３）</title>
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   <published>2009-03-04T02:02:46Z</published>
   <updated>2009-03-07T13:44:59Z</updated>
   
   <summary> 牛田：この大きい瓶はなんですか？ びん博士：これはトリスウイスキーっていって、...</summary>
   <author>
      <name>牛田</name>
      
   </author>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.bunka-kaigi.com/">
      <![CDATA[<a href="http://www.bunka-kaigi.com/archives/002special/026/"><img alt="bottle_doctor200903.png" src="http://www.bunka-kaigi.com/images/bottle_doctor200903.png" width="500" height="100" /></a>

牛田：この大きい瓶はなんですか？
<br>
びん博士：これはトリスウイスキーっていって、寿屋が作った巨大な広告瓶です。昭和30年代になるとトリスバーには必ず置いてあるものでした。一時代流行したものですね。中身は入ってないですよ。これは広告用のものです。
<br>
牛田：広告用なのに瓶なのですね。
<br>
びん博士：そうです。無理して入れれば、10升は入ると思います。戦前の広告瓶は酒屋の店の屋根の上に針金でくくりつけてあったのですが、みんな10升入る瓶でした。
<br>

<img alt="417.png" src="http://www.bunka-kaigi.com/images/417.png" width="355" height="461" />

]]>
      <![CDATA[牛田：あの巨大なシャンパン瓶も広告用ですか？
<br>
びん博士：そうです。店に置かれていたのですけど、もう店をたたむからと関係者の方が持って来てくれました。これはそんなに古くないですよ。
<br>



<img alt="418.png" src="http://www.bunka-kaigi.com/images/418.png" width="300" height="285" />
牛田：これも全く不明です。
<br>
びん博士：これは今でも何に使われていたのかわからないのですよ。囲炉裏の下に置いてあったといいますが。口のところを手のひらでたたくと、よい音がしますから楽器に使えるかなと思ってもいます。
<br>
牛田：用途が全然わかりませんね。
<br>
びん博士：ちゃんと調べればわかるとは思うのですが、遊び心を持っていたいというのがあるのですよ。だから知りすぎてもつまらないかなって思ったり。いろいろと想像するのも面白いでしょ。瓶っていうと女性が好きそうなイメージがあると思うのですけど、意外とアウトローの危ない人が好きだっていうことがありましたよ（笑）。そんな人がこれを持ってきてくれたのですよ。この瓶は囲炉裏のなかからでてきたと聞いているのですが、おそらく実験用の熱を温存するとか冷却する装置のものではなかったかと思っています。
<br>
牛田：すごい大きな瓶もありますね。
<br>
びん博士：これは耐酸瓶ともいわれていて、染物工場では定着剤に使う酢酸の、そして養蚕農家では消毒用ホルマリンの容器として使用されたものです。
<br>
牛田：ラベルが完全なものとそうでないものがありますね。
<br>
びん博士：ラベルが完全なものは、分類しようと思って、今大整理しています。ラベルがないものの多くは、土から掘り出したものも多いですね。
<br>
牛田：どうして瓶に興味を持ったのですか？文化会議を一緒にやっている清水正先生がびん博士のこと知っていて、学生時代から瓶集めていたっていうのを伺ったことがあります。
<br>
びん博士：えっ本当ですか。あの頃はまだそんなに集めていなかったような。でも覚えてもらっているくらいだから、もう公に収集していたのですかね。清水先生はあの頃からドストエフスキー研究をしていましたけど、私はなんか世捨て人的存在でしたよ。悪くいえば、現実逃避。瓶集めて後はのたれ死にだ、みたいな考えでおりました。あの頃は画家の小山田二郎さんの家によく遊びに行っていたのですよ。その頃、小山田さんは突然、遠縁の娘さんとどこかへ失踪してしまっていて、奥さんとお嬢さんが家に残っていたのです。奥さんのチカエさんもお嬢さんもなんかすごい魅力のある人たちでね。彼女たちは多磨霊園の近くに住んでいたのです。よく夜中に多磨霊園に行って酒飲んだり踊ったりしていましたね。霊媒の真似事とかして遊んでいたのですよ。
<br>
牛田：いつ頃の話しですか？
<br>
びん博士：20代の後半ぐらいかな。小山田チカエさんのところに若い研究者の人たちがたまっていたのですよ。みんなとんがっていて、けんかっ早くて。そのなかに清水先生もおりました。友人の紹介で知り合ったのですが、「とにかく新進気鋭のドストエフスキー評論家だ」ということで面識を得たのでした。それと私には平成元年に32歳で他界した9歳違いの弟がいて、彼が日芸だったのですよ。それで日芸の文化祭でなにか歌ってくれって弟にたのまれたのですよ。弟のライブのときだと思います。その時に清水さんが校舎の窓から覗いてくれていたような気がします。とにかく小山田さんのところにきていた人は今でも活躍している人が多いです。チカエさんにはよく「あなたは芸術するべきよ」とか言われていたのに、瓶ばかりを集めていましたね。「なんで瓶なんか集めているのか、変な人だ」とよく罵られました（笑）。
<br>
牛田：収集とまではいかなくても、幼いときから瓶は好きだったのですか？
<br>
びん博士：生まれて初めて瓶を意識したのは、1960年代後半ぐらいの頃かな、20代後半ぐらいの頃私はよくあてどなく街をプラプラ歩いていたのですよ。丁度その時期っていうのは、日本全国が都市化しはじめたような時期で、地方文化は徐々に薄れて消えようとしていましたね。そんな頃、骨董屋などを覗いてまわっていたのですよ。
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   <title>びん博士インタビュー（２）</title>
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   <published>2009-03-04T02:00:02Z</published>
   <updated>2009-03-07T13:50:56Z</updated>
   
   <summary> 牛田：このラムネ瓶はビー玉が底のほうにあるのですか。 びん博士：底玉式っていう...</summary>
   <author>
      <name>牛田</name>
      
   </author>
         <category term="026.びん博士" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.bunka-kaigi.com/">
      <![CDATA[<a href="http://www.bunka-kaigi.com/archives/002special/026/"><img alt="bottle_doctor200903.png" src="http://www.bunka-kaigi.com/images/bottle_doctor200903.png" width="500" height="100" /></a>



牛田：このラムネ瓶はビー玉が底のほうにあるのですか。
<br>
びん博士：底玉式っていうのです。昭和の初めに富山で翠田辰次郎という人が開発しました。普通の玉ラムネ瓶は1872年にイギリス人ハイラム・コッドによって発明されたのです。それを真似た国産第一号瓶は、明治25年頃に大阪の今はなき徳永硝子会社の創始者・徳永玉吉によって作られたといわれています。徳永硝子というのは戦前には飛ぶ鳥を落とすいきおいの会社でした。徳永硝子の50年史の中に徳永玉吉がイギリス製のラムネ瓶をそっくり真似たという記述が残っています。洋文字までガラス瓶に入れてしまったのですよ。つまりオリジナルのイギリスの会社名をです。ダン・ディダンスというのですけど。それがために特許違反で警察に呼び出されたというエピソードが掲載されていました。ただそれを私は冗談だと思って信じていなかったのです。いくら真似するっていったって洋文字まで入れないだろうってね。ところがあるとき、ラムネ瓶に洋文字が入っているのを見つけたのです。それは徳永硝子のものではなかったのですけどね。当時洋文字を入れると箔が付くというのがありました。玉吉にしてもそうしたのだと思うようになりました。おそらく本当の話しだったのですよ。

<img alt="413.png" src="http://www.bunka-kaigi.com/images/413.png" width="272" height="374" />

]]>
      <![CDATA[<br>
牛田：もともとラムネにビー玉って入っていたのですか。
<br>
びん博士：そうです。瓶口の部分を加熱してビー玉を入れるのですよ。昭和の初めまで手作りだったので、入れてから軍手をした手で転がして口を閉じたらしいですよ。
<br>
牛田：ビー玉というのは常に丸いのですか。
<br>
びん博士：一説には、Ａ玉Ｂ玉Ｃ玉とあって、Ａ玉はおもちゃのビー玉として用い、Ｂ玉はＢ級なのでラムネに、そしてＣ玉はさすがに使えないっていうので、砂利にしたというのを聞いたことがあります。ただこの話にもはっきりした証拠はありませんけどね（笑）。でもそういう物語として語ると面白いでしょ。
<br>

<img alt="415.png" src="http://www.bunka-kaigi.com/images/415.png" width="500" height="375" />


牛田：この瓶は何ですか？全然見当もつかないのですが。
<br>
びん博士：それは漁の網の浮きです。丸い形ですよね。網で包んで海に浮かべる。それは北陸硝子というところで吹いたという記録があります。
<br>
牛田：これ浮くのですか？
<br>
びん博士：中が空洞だから浮きますよ。
<br>
牛田：昔は硝子だったのですね。
<br>
びん博士：昔の海岸に行くと、こういう浮きがごろごろあったようで、その浮きのある風景がとても風情があったと聞きました。今はプラスティックになってしまいましたけどね。
<br>
牛田：これだと割れてしまいませんか？
<br>
びん博士：割れますよ。でも海を汚すことはないのですよ。ガラスは砂になってしまいますから。
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   <title>びん博士インタビュー（１）</title>
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   <published>2009-03-04T01:42:03Z</published>
   <updated>2009-03-07T14:09:20Z</updated>
   
   <summary> 今回はなぞに包まれたびん博士、庄司太一さんにお話を伺ってきました。映像作家かわ...</summary>
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      <name>牛田</name>
      
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.bunka-kaigi.com/">
      <![CDATA[<a href="http://www.bunka-kaigi.com/archives/002special/026/"><img alt="bottle_doctor200903.png" src="http://www.bunka-kaigi.com/images/bottle_doctor200903.png" width="500" height="100" /></a>

今回はなぞに包まれたびん博士、庄司太一さんにお話を伺ってきました。映像作家かわなかのぶひろ先生から、びん博士を紹介していただきました。びん博士はガラス瓶研究家です。『びんだま飛ばそ』（PARCO出版、1997年）、『平成ボトルブルース』（廣済堂出版、2001年）などの瓶についての書籍があります。さらにミュージシャンとしても活躍されています。

インタビュー場所はびん博士が主宰するボトル・シアターです。ものすごい数の瓶、瓶、瓶。瓶のおばけがでるのではないかという怪しい劇場です。というのは冗談で瓶が光をあびて、とても綺麗な劇場でした。劇場は予約制です。びん博士、貴重なお写真ありがとうございました。


<img alt="407.png" src="http://www.bunka-kaigi.com/images/407.png" width="500" height="375" />


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      <![CDATA[牛田：なぜ瓶を集めるようになったのですか。
<br>
びん博士：瓶に興味をもったのは、誰も手つかずの分野であったからということと、そして幼いときから博物学が好きだったということがあります。つまり、瓶は人造物のガラクタかもしれないけど、それで博物学的な展開が出来るのではと長い間考えていました。後、私が集めはじめた頃は、誰も注目していなかったので集めやすかったこともあります（笑）。
<br>
牛田：ボトル・シアターに飾ってある瓶は、機械作りであるのか手作りであるのか見ただけではわかりませんね。
<br>
びん博士：昭和20年中頃に瓶は手作りから機械で作られるようになっていきました。アメリカからISマシーンという高性能の製瓶機が導入されると、一気に大量生産の工業化が進みました。私は昭和23年生まれですので、丁度そんな端境期（はざかいき）に成長したのですね。子どもの頃に手作りの瓶に触れていたぎりぎりの世代です。なんとすでに2歳頃に瓶を眺めて、ゆがんでいるその姿に「綺麗だな」って思ったことを記憶しているのですよ。これはひょっとすると啓示であったかもしれない（笑）。その後20年以上そのことを忘れていましたが、人生に空しさを感じていたある日突然瓶に興味を持つようになったのです。それから本なんかで瓶の歴史を調べはじめたのですけど、瓶についての情報については何もつかめなかった。仕方ないから友人に「古い瓶拾ったらたのむよ」とかいって収集が始まったのです。いろいろ手を尽くして瓶を集めていたのですけど、結局よくわからないし、瓶もそんなに集まらない。それから、アメリカに行くのですよ。そうしたらなんと偶然にもその国には瓶の文化というものがあった。いろいろと資料があったわけです。それにならって日本の瓶でも同じことが出来ないかなって思って、瓶が捨ててあると思われた全国のゴミ捨て場を漁り出しのです。それから怪しいおじさんになったのですよ。だからここにあるのは多くはそうして集めた手作りのものですよ。
<br>
牛田：前に頂いた瓶も手作りですか。
<br>
びん博士：厳密にいうと半人工です。一部、機械で作られていますけど、今のようにすべての工程を機械任せってことはない半分人の手によるものですよ。
<br>
牛田：どこで見分けるのですか。
<br>
びん博士：見るとわかりますよ。機械で作られたものは完全なシンメトリーの形なのですよ。質感もガラスの肉質も完璧に均一だったり。ただすごい職人さんなんかは、昔は機械と同じぐらいの精度の瓶を吹いたりしたといわれますけどね。でも長く瓶をみていくとわかりますね。慣れてくるとわかります。
<br>

<img alt="408.png" src="http://www.bunka-kaigi.com/images/408.png" width="300" height="400" />

牛田：このコーラの瓶なんかはどうですか。
<br>
びん博士：これは全自動の機械作りなのですよ。みんなどれも均一でしょ。
<br>
牛田：瓶っていうのは、今のペットボトルみたいに使い捨てではなかったのですよね。
<br>
びん博士：そうですね。ほぼ回収して使いまわすか、ガラスに砕いたりしていましたね。昔は「瓶商」っていう商売人がいて活躍していたのですよ。彼らが回収して、選別して、まだ使えるものはそのまま残し、使えないものはカレットというガラス屑にくずして、また瓶にしていくというように回転させていました。
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   <title>文筆業　切通理作インタビュー（６）</title>
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   <id>tag:www.bunka-kaigi.com,2008://1.300</id>
   
   <published>2008-04-26T07:32:34Z</published>
   <updated>2008-05-13T06:52:38Z</updated>
   
   <summary>  牛田：俳優さんはまた頼まれたらやります。 切通：もちろん。俳優は自己発見のお...</summary>
   <author>
      <name>文化会議</name>
      
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         <category term="025.文筆家　切通理作" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.bunka-kaigi.com/">
      <![CDATA[<center/> <a href="http://www.bunka-kaigi.com/archives/002special/25/"><img alt="kiritooshi.jpg" src="http://www.bunka-kaigi.com/images/kiritooshi.jpg"  width="500" height="100" /></a></center>

牛田：俳優さんはまた頼まれたらやります。
<br>
切通：もちろん。俳優は自己発見のおもしろさがある。言われたとおりにやっているだけなのに、出来た映像を見ると「自分ってこうだったのか」って思うんです。全部自分でコントロールする物書きの世界とは違う醍醐味があります。
<br>
]]>
      <![CDATA[牛田：『ヒミコさん』（藤原章監督、2007年、「ヒミコさん」製作委員会）を6回観たって伺ったのですが、同じ作品を何度も観るのですか。
<br>
切通：自分が出演していたってこともあるけど、作品自体が面白かったから。藤原監督はドキュメンタリーみたいに物語を撮れる人なんです。カットのつながりは音楽的で、観るたびに新しい発見がある。今度、同じ藤原監督の『ダンプ姉ちゃんとホルモン大王』に出たのですが、『ヒミコさん』と同じ役です。
<br>
牛田：田所医師の役ですよね。
<br>
切通：そうです。『小説現代』に書いた僕のエロ小説にもこの医者は出しました。
<br>
牛田：連続性があるのですか。
<br>
切通：自分の中で勝手に出しただけです。監督には後で許可とりました。演じるのって頭の中で考えているようには意外に出来ない。でも監督の言った通りにやると、監督から観た僕っていうのがわかりますね。
<br>
牛田：「自分の人生の主人公が自分ではない、ということをある日突然思った」ってブログに書いてあったのですが、その言葉がすごく不思議だったのですよ。いくら父と母が私を愛してくれても父と母の人生は自分たちが主人公だろうなって思ったのですね。どうしてそれをある日突然思ったのでしょうか。
<br>
切通：ライター教室でそう思えないって言った方が幾人かいらしたのです。芸能や文筆の世界で活躍している人の間にだけいたら見えにくいことってあるなと、彼らとの交流で思ったのです。自分の人生は自分が主人公に違いないし、そう信じたい、けれども本当のところ主人公は自分ではないと言う人が複数いた。それを聞いたとき、僕も驚いたんです。たとえ自分が嫌な思いをしていても、嫌な思いをしている自分が主人公であることには変わりないじゃないかと思っていたから。でも明らかに人のために時間を費やしているときってあるじゃないですか。そういうことを指していると思います。僕は自分の人生の主役は自分だというのが当然だと思ってきたのですけど、ある時はそうじゃなかったりします。人から見た自分が本当だったり。原稿依頼なんかもそうですね。人からきた依頼っていうのはそういうものかなって思うのですよ。自分から見た自分っていうのしか認めないのだったら、なんでこの依頼が僕なのって思うじゃないですか。でもそれは面白くないかなって。こっちだって他人に対して勝手なイメージを抱くわけじゃないですか。
<br>
牛田：ありがとうございました。
]]>
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   <title>文筆業　切通理作インタビュー（５）</title>
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   <id>tag:www.bunka-kaigi.com,2008://1.299</id>
   
   <published>2008-04-25T08:33:03Z</published>
   <updated>2008-05-13T06:52:19Z</updated>
   
   <summary>  牛田：切通さんのブログのなかに「自分の存在を投企するために他者にそれを増幅し...</summary>
   <author>
      <name>文化会議</name>
      
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         <category term="025.文筆家　切通理作" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.bunka-kaigi.com/">
      <![CDATA[<center/> <a href="http://www.bunka-kaigi.com/archives/002special/25/"><img alt="kiritooshi.jpg" src="http://www.bunka-kaigi.com/images/kiritooshi.jpg"  width="500" height="100" /></a></center>

牛田：切通さんのブログのなかに「自分の存在を投企するために他者にそれを増幅して求め、醜い総括リンチを繰り返す閉塞を自ら作り出したともいえる彼女（永田洋子）にとって、ようやく訪れた、世界と自分が一致した瞬間」という文章がでてくるのですが、これが御著書の情緒だと思いました。
<br>
切通：永田洋子の『十六の墓標』（1982年、彩流社）を読んだときにそれは否定できないと思いました。最後の1、2頁です。逮捕される瞬間。あそこは美しい。ただそこを固定化して現実を否認するのは情緒とは逆かもしれないですね。
<br>
]]>
      <![CDATA[牛田：情緒について『ALWAYS 三丁目の夕日』（山崎貴監督、2005年、「ALWAYS 三丁目の夕日」製作委員会）でも御著書で言及しておられます。興行的には成功した作品ですが、評論家側からは酷評されたきらいがありますが、切通さんは映画評論家のなかでは珍しく褒めていらっしゃいます。
<br>
切通：あの時代は映画で描かれているような良い時代であるわけじゃないって批判をする人が多いですね。でもそれは的を射てないと思うんです。藤子・F・不二雄の『みきおとミキオ』がありますよね。未来のミキオと現在のみきおがどちらもお互いの時代にあこがれと興味を持っている。現代では解決出来ないことが、未来では解決され、反対に未来は現代のアナログ的な世界に郷愁を感じている。あそこに答えがでていると思うのですよ。過去にも犯罪は多かったとか、批判している人もいるのだけど『ALWAYS 三丁目の夕日』のポイントはそこではないんですよ。郷愁それ自体には良いも悪いもないということがあの映画なんです。ただ二作目を見て続編を作るっていうのは難しいって思いました。前作品の良かったところは、モノとかアイテムから見た人間というものを押し出していったところだと思います。二作目は溝口健二とか、過去の日本映画に対するコンプレックスが出ていたように思いました。そこが退屈になってしまう。つまらない批判を意識してしまったのか、人間を描くってことにコンプレックスがでてきたような感じがしました。『情緒論』で引いた橋本治さんの文章に、「窓の論理」があるんですね。『スター・ウォーズ』で元々は部屋の中だけのシーンに、特別編をつくるとき、人間の芝居だけで飽きてしまう人のために「窓」をつけた。その窓から見える外は、宇宙船が行き交っていて、ドラマ見るのがタルい人には窓の外を見ていてくれと。はじめ『ALWAYS 三丁目の夕日』はそういう感じなのかなって思ったのです。僕にはそこが面白かったのですね。続編はそれよりも人間のほうに重点を置いていた。人間を描く「映画」というかたちがことごとく退屈なのですよ。人間ドラマへの向かいかたが、柳田のいう骨董品的です。固定の尺度の人間的ドラマになってしまって。僕とか山崎監督なんかは、映像世代に育っているわけだから、疑似体験のアイテムから見ていくのだということで勝負してよかったのではと思います。国民映画にしようとしてしまったときに、骨董的なもので埋めることになってしまった。むろんそれだけではなく、よかった点も多々ありましたが。
<br>
牛田：切通さんは先生、文筆家として批評家・脚本家・小説家とともに俳優もされていますが、他にまだチャレンジしていく仕事はありますか。
<br>
切通：やってみたいのはコメンテーターですね。だってテレビ見ていて「自分だったらこう言いたい」っていつも妄想していますから（笑）。ライター以外の仕事は、いろんな人と接したいというのがあります。ライターの仕事だけやっていると狭くなる。編集者やインタビュイーに会うぐらいでしょう？　でもたとえばライター教室の受講生たちは僕の文章を読んだこともないようなOLさんや会社員、主婦、公務員、医者、看護士といった人たちですね。そういう人たちに対して、講師の本も読まないのかって嘆く人もいると思うけど、僕は全く逆ですね。僕の本など読んでなければ読んでないほどいい。教室という媒介を通して、関係ない人が出会う面白さ。中には、占い師にこの方角の学校に行けといわれて来たという人がいて、普通あり得ないでしょう？　そういう人が一人じゃないんですよ。大学や高校では、若い人と接することができるからいいですね。そういう機会がないと年齢差が離れていくばっかりだから。出来れば中学もやりたい。俳優は藤原章監督の映画に「出ませんか」っていわれて出ただけなので、俳優というより素材として出ているんだと思う。でも映画を内側から完成まで見る機会ってあまりない。もの書きにフィードバックしていくために、他のこともしているってとこはあります。小説という形式で書きたいものってなかったんですけど、エロ小説を書けといわれて『妄想小説イジメ系』（『小説現代』、2008年2月号、講談社）をやったら、他にもいろいろ日常では出来ないＨなアイデアが生まれてきて、またやってみたいと思ってしまいました。
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   <title>文筆業　切通理作インタビュー（４）</title>
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   <id>tag:www.bunka-kaigi.com,2008://1.298</id>
   
   <published>2008-04-25T07:29:32Z</published>
   <updated>2008-05-13T06:51:57Z</updated>
   
   <summary>  牛田：切通さんにとってこれは頼まれても書きたくないものってありますか。 切通...</summary>
   <author>
      <name>文化会議</name>
      
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         <category term="025.文筆家　切通理作" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
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      <![CDATA[<center/> <a href="http://www.bunka-kaigi.com/archives/002special/25/"><img alt="kiritooshi.jpg" src="http://www.bunka-kaigi.com/images/kiritooshi.jpg"  width="500" height="100" /></a></center>

牛田：切通さんにとってこれは頼まれても書きたくないものってありますか。
<br>
切通：仕事で来たものに対してはほとんど断ったことないんです。自分がもともと興味を持っていたことだけでなく、相手がドアを開いてくれることがあります。例えば、ある本の書評をしてくださいって仕事があって、存在も知らない本だったりするわけですよ。自分の趣味だけで読んでいればその本に出会わない。自分の見方だとどうしても時代の片側だけみていたりしますからね。時間的な問題で出来ないことは辞退することもありますけど、その場合でも時間がもう少しあれば出来るだけやろうとします。僕、薔薇族映画で『ゲイのおもちゃ箱』（ENKプロ、1993年）というオムニバス作品の一つで脚本を書いたことがあるんですよ。それが経歴に載っていて、ゲイ・カルチャーの歴史を書いて欲しいという仕事がきたのですね。いつまでですかって尋ねたら三日後だったのです。全然知らない世界だったからご辞退したのですが、時間があれば調べたかったですね。
<br>

]]>
      <![CDATA[牛田：自分だったら選ばない題材なんかはありますか。
<br>
切通：書けないことは書きようがないけれど、選べるんだったら書く方を選びますね。
<br>
牛田：まさにライターという職業ですね。
<br>
切通：最初は知らなかったことだとしても、やっているうちに興味を持ったりします。僕はそれが楽しめるほうかもしれない。僕という人間を、著作を通して知っていて、この人にはこういうことが向いているじゃないかってことで仕事がくるわけですから、貴重な機会です。とにかく無関心でいたくないというのはあります。映画評論でよく、「この映画の原作は読んでいないが」って、予防線のように書いてあるのを見ることがあります。あれ疑問なんです。原作がすごい量だったり日本語に翻訳されてなくて数日で読むのが難しいのだったらともかく、漫画でたかが五巻ぐらいしか出てないものだったら、それぐらい読めばいいのにって思いますね。たとえばある台詞が面白いと思ったとして、これは原作にもともとある台詞なのか、映画のために書いた台詞なのかってのは僕だったら知りたくなります。そういうことをしないで、映画の本数だけ多く見ているという評論家には疑問を持たざるを得ない。
<br>
牛田：『情緒論―セカイをそのまま見るということ』についてお伺いたします。御著書のなかで風景論について語られています。情緒と風景というのは、逆のものだと思っていたのですが、御著書を読んでいると風景がきて情緒がくる。あるいは情緒がきて風景がくるというような感じだったのですが。
<br>
切通：世間に出してみて、僕が言っている情緒というのは、一般的には情緒と思われているモノではないかもしれないと思ってきましたね。坂口安吾が『文学のふるさと』で言っているような、残酷なことがあっけなく終ってしまったりする、文脈が剥ぎ取られた状態を情緒って言っているのですが。これより前に『失恋論』（2006年、角川学芸出版）という本を書いたのですけど、その時には書いてあることが読むスピードで理解していけるように、あまり詰め込まなかったんです。でも『情緒論』はその逆に、難しいところにあえて分け入っていくような書き方をしました。春秋社の読者には、そのぐらいがちょうどいいかなと。
<br>
牛田：情緒というと桜が咲いたら春が来たことを感じるようなことだと思っていました。それと子どもに対する教育です。情緒を育てる教育とか、日常生活ではあまり使う言葉ではないので。
<br>
切通：情緒ってものが嫌いで、そこから抜け出していきたい。例えば大島渚監督だったら従来の大船調が嫌いで、それをはぎ取ろうとしました。中平卓馬さんの写真もそうだと思います。そういう人たちが逆に情緒を意識している気がします。僕は情緒っていうのは、人がいた痕跡だと思います。だから下町情緒もある一方、人の誰も居ない埋め立て地にも情緒がある。
<br>
牛田：中平卓馬さんが出てくると風景論みたいですね。
<br>
切通：僕にとっては風景も情緒も同じです。世界を風景的にみることが情緒だと思っているんです。柳田國男は固定化された美を求める心を批判しています。そうではなくそれを見ている自分が動いていることを意識しなくてはならない。桜の花びらが散るときにそれを見ている自分のうつろいを意識するのではなく、いつの間にか桜をみたら情緒を感じるという記号になってしまうことに柳田は批判を加えている。中国の山水画みたいなモノを見て、日本の風土と違うのにあれが自然だと思い、それに現実の風景をあてはめるのはナンセンスだと言っているんですね。養老孟司さんも言っていたけど、世界が動いているのではなくて、自分が動いているのだと。
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   <title>文筆業　切通理作インタビュー（３）</title>
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   <id>tag:www.bunka-kaigi.com,2008://1.297</id>
   
   <published>2008-04-25T07:26:01Z</published>
   <updated>2008-05-13T06:50:44Z</updated>
   
   <summary>  牛田：文筆業は孤独な感じがするのですが、何か書いてはげみになったことなどあり...</summary>
   <author>
      <name>文化会議</name>
      
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         <category term="025.文筆家　切通理作" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
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      <![CDATA[<center/> <a href="http://www.bunka-kaigi.com/archives/002special/25/"><img alt="kiritooshi.jpg" src="http://www.bunka-kaigi.com/images/kiritooshi.jpg"  width="500" height="100" /></a></center>

牛田：文筆業は孤独な感じがするのですが、何か書いてはげみになったことなどありますか。
<br>
切通：昔、僕の最初の本『怪獣使いと少年』を川本三郎さんが読んでくれて、「細部が豊かなので、大きな論が浮かび上がってこないのがいいです」って葉書を頂いたのですね。僕は作家論など書くときには、この言葉を座右の銘にしています。細かすぎて論が浮かび上がってこないきらいがあるというのは批判にも使えますよね。でも川本さんはそれがいいって言ってくれたんですね。それで映画とかアニメを対象にするときには、もちろん言いたいことはあるのですが、細部のほうを大事にしようって思ったのです。僕は書き方に二系列あって、社会評論系はすぐに言いたいことがわかる表現にしようと思います。作品論、作家論系は、読んでくれた人が、言いたいことがすぐに浮かびあがってこないようにしています。『宮崎駿の＜世界＞』でサントリー学芸賞をいただいたときの審査委員に川本三郎さんがいらっしゃったので、その点を認めてくれたのかなって思ってうれしかったですね。
<br>
]]>
      <![CDATA[牛田：資料集めはたいへんでしたか。
<br>
切通：『宮崎駿の〈世界〉』のために集めたものもあるけど、多くは宮崎アニメが公開されるその都度買っていたのです。だから買ってないものも目星がついていたので、それほど大変ではなかったですね。モノはあまり捨てない方なので。
<br>
牛田：『地球はウルトラマンの星』（ソニー・マガジンズ）や『特撮黙示録』（太田出版、2002年）は多くの資料を見ないとできませんよね。
<br>
切通：僕の書き方としては資料を調べながら書くというのではなくて、記憶で先に書いてしまうんです。資料がたくさんあって書いていくと、情報に邪魔されて、最初に観たときの感想と遠いものになってしまう。最初は印象だけで、その後実際どんなディテールだったのか参照する。もちろん結果論旨の方が変わってしまうこともあるのですが、それはそれで飽きないですからね。
<br>
牛田：切通さんはインタビュー以前に日芸で特別授業をされたのですが、終わった後に学生たちが、批評だけど論旨に優しさがあって、聞いていて嫌な感じがしないと。
<br>
切通：その学生さんの言葉はうれしいのですが、ある方から「これは宮崎監督へのラヴレターだね」って言われたことがあります。僕はそれが心外だったんです。もちろん宮崎駿作品も山田洋次作品も好きですけど、作品に対して愛があるというところに寄りかかるのは好きではないですね。やはり宮崎作品、山田作品を二本ぐらいしか観たことない読者から読んでもらいたいですから。
<br>
牛田：宮崎監督と山田監督が、切通さんの御著書を読んで喜ぶかどうかはかなり疑問ですが、作品に対して優しい感じがします。そこに切通さんの個性が出ていると思いました。
<br>
切通：優しいかどうかはわからないけれど、一度見て切り捨てるというのではなく、作品を自分に対しても色んな刺激にしていった方がいいと思うときはあります。例えば『魔女の宅急便』は公開で見たとき、これまでの『ナウシカ』、『ラピュタ』、『トトロ』というオリジナル三部作と比べると純度が低いと思ったんです。でも本のための作業で『ナウシカ』を観た次の日に『ラピュタ』『トトロ』と続けて観てから『宅急便』を観ると、宮崎駿が広げようと思った方向性が見えてきた。そこに気づいたことも無視できない。同時代の観客としては、たとえば前に『トトロ』があれば次の作品も『トトロ』のような世界観を期待してしまうところがある。前の満足度を知らず知らずのうちに求めてしまう。そして観た直後にこの作品は良い、悪いと判断を下してその後見返す機会も作らない。ですから本を書くために作品と出会い直すのは違った見方が出来るひとつのきっかけだし、それを提示できるところがありますね。
『耳をすませば』『もののけ姫』は公開直前にも雑誌に批評を書いているのですが、その時にはやや懐疑的な要素が強い文でした。『宮崎駿の〈世界〉』では、だいぶそれが変わっています。「切通は日和った」とかインターネットで言われましたね。でもこれはジブリに許可をとって書いている本ではないし、おもねる必要はない。ただ作家論として順番通りに観てみると自然にそうなっていったのですね。それが「優しい」といわれる理由かもしれない。
<br>
牛田：宮崎駿作品も寅さんもコアなファンが多いので、作品を論じるのは難しいなって思います。
<br>
切通：厳しく言い過ぎるのも馴れ合いに感じることもありますよね。好きな作品との距離が取れなくなって、作品を自分の所有物のように思ってしまい、かえってこき下ろして書いてしまったりする場合もある。そういう文章を読んで違和感を持つこともあります。過剰に褒めることもないけど、過剰にこき下ろすこともないんじゃないかなと思います。
]]>
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   <title>文筆業　切通理作インタビュー（２）</title>
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   <id>tag:www.bunka-kaigi.com,2008://1.296</id>
   
   <published>2008-04-25T07:22:32Z</published>
   <updated>2008-05-13T06:50:15Z</updated>
   
   <summary>  牛田：一番いいたいところが最後にくる。お楽しみが最後だと、分厚い本は不利です...</summary>
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      <name>文化会議</name>
      
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      <![CDATA[<center/> <a href="http://www.bunka-kaigi.com/archives/002special/25/"><img alt="kiritooshi.jpg" src="http://www.bunka-kaigi.com/images/kiritooshi.jpg"  width="500" height="100" /></a></center>

牛田：一番いいたいところが最後にくる。お楽しみが最後だと、分厚い本は不利ですね。
<br>
切通：『宮崎駿の〈世界〉』を出した時、明らかに前半しか読んでないと思われる人から、「評論になってない」って言われましたね。最後まで読んでくれよって思いました。『山田洋次の〈世界〉』の時はそれを意識して書きました。そうしたら今度は前ほど売れない。結局当てにならない書評なんです（笑）。タイトルに「寅さん」を出したらもっと売れたかもしれませんね。寅さんの「生まれも育ちも葛飾柴又～」っていうような名調子な語りを二行以上引用しないというルールは決めました。既成の寅さん論、山田洋次論はみんなそれをやってしまって、寅さんの語りのリズムに地の分が埋没しちゃうんですよ。そこには寄りかかりたくなかった。
<br>


]]>
      <![CDATA[牛田：『山田洋次の〈世界〉』を読むと山田監督の寅さんシリーズ以外の作品に重点を置いていますよね。
<br>
切通：寅さんはあたりさわりのない大衆娯楽と思われているけれども、山田洋次の人間の運命に対する認識は非常に過酷なところがある。最新作の『母べえ』でも思ったのですが、悔いを残したまま死んでいかざるを得ないという人物の突き放し方。過去をノスタルジックに振り返って癒そうなんていうのと全然ちがう、山田洋次の刃を見ましたね。
<br>
牛田：『山田洋次の〈世界〉』は執筆にどのくらいの時間がかかったのですか。
<br>
切通：半年ぐらいですね。80本近い作品を見返さないといけないから。それで時間がかかりましたね。山田洋次監督は松竹の監督だから、大谷図書館にシナリオの初稿、準備稿、決定稿が保存してあるんです。それが非常に役に立ちました。一本の映画でもいろいろな変遷があって。山田監督はシナリオにも必ず参加しているから、どういうふうに変わってきているかがわかるのです。原作がある場合はその小説を読んだりします。完成された映画もビデオで観てすぐに大谷図書館に駆け込むと作品のプロセスがわかって面白かった。山田さんが助監督時代に同人誌に書いた脚本なんかも発見しましたね。それはいままで誰も言及していなかった資料でした。
<br>
牛田：大谷図書館には、映画よりも芝居を調べに行く方が多いですよね。
<br>
切通：そうですね。だいぶお年をめした方が歌舞伎のことを調べに来てますね。でも演劇だけでなく、映画研究にも使える図書館です。他の映画会社では、大谷図書館のようなものは聞きませんから松竹の姿勢はいいですね。例えば、森崎東さんが監督した『男はつらいよ　フーテンの寅』（1970年）の時には、森崎監督サイドで脚本家に書かせたものがあるのですよ。それも大谷図書館にあってね。後で山田洋次の脚本に差し替わるのですが、一つの作品で両方の脚本があります。このもうひとつの脚本の具体的な内容についてもいままでどの資料にも出てきませんでした。せっかく大谷図書館があるのに、映画書を書く人は意外に行ってないんですね。松竹ヌーベルヴァーグの大島渚監督の習作時代の脚本も読めます。若い編集者らしき人がよくテレビガイドのバックナンバーで昔の放映データを調べに来ていましたが、それだけに使うのはもったいない場所です。
<br>
牛田：『宮崎駿の〈世界〉』は執筆にどのくらいかかったのですか。
<br>
切通：そんなにかかっていませんよ。せいぜい半年ぐらいかな。ただなかなかやるというふんぎりがつかなかった。それまで昭和のウルトラマンシリーズの脚本家たちのことを書いた『怪獣使いと少年』（宝島社、1993年）という本を書いたことがあるのですが、脚本家はストーリーやセリフを直接書く人だからわかりやすい部分があるけれど、監督という仕事がなかなかつかみにくかったんですね。ただその前に『地球はウルトラマンの星』（ソニー・マガジンズ、2000年）という本で、原田昌樹さんや村石宏實さんといった現役のウルトラマンシリーズの監督さんたちに、すでに出来上がった脚本からどう演出の個性を出すかをロングインタビューして非常に勉強になったんです。同じ話でもどの部分が膨らむのか。宮崎駿はストーリーから自分で作っていますが、絶対に陥りたくなかったのは、テーマ論だけで書くことでした。宮崎駿が左翼だとかエコロジストだとユートピア論者だとか、そういうことが宮崎駿を語ることだと思っている著者の本には食傷していましたから。その部分も語るにしても、まずは宮崎駿が絵を動かす人であるというところから出発しなければ、対象がアニメである必要はない、政治論文でも読めばいいということになってしまう。
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   <title>文筆業　切通理作インタビュー（１）</title>
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   <published>2008-04-25T07:02:05Z</published>
   <updated>2008-05-13T06:49:03Z</updated>
   
   <summary>  今回は2002年度サントリー学芸賞を受賞した、評論家、脚本家、官能小説家、そ...</summary>
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      <name>文化会議</name>
      
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      <![CDATA[<center/> <a href="http://www.bunka-kaigi.com/archives/002special/25/"><img alt="kiritooshi.jpg" src="http://www.bunka-kaigi.com/images/kiritooshi.jpg"  width="500" height="100" /></a></center>

今回は2002年度サントリー学芸賞を受賞した、評論家、脚本家、官能小説家、そしてついに俳優デビューまで果たした切通理作さんにインタビューさせていただきました。実は切通さんが主催しているネットラジオ、「切宮～キリミヤ・シネマラジオ」に誘っていただき、お話させていただきました。まさにクロス・ネット・インタビューとなります。]]>
      <![CDATA[牛田：映画について論じている『宮崎駿の〈世界〉』（ちくま新書、2001年）『山田洋次の〈世界〉』（ちくま新書、2004年）、そして近著『情緒論―セカイをそのまま見るということ』（春秋社、2007 年）を中心にお話を伺いたいと思います。『宮崎駿の〈世界〉』は334頁、頁によっては二段組み、字が小さいと新書にしてはかなり厚みのある御著書です。宮崎駿の作品について新書であるにもかかわらず、この厚みになったのはなぜですか。
<br>
切通：あれはひな形となる短い文章があって、新書の分量に膨らませていったのですが、気がついたらもっと多くなってしまったのです。ワードパッドしか入ってないパソコンを使って大雑把な見当でやっていたせいもあります。作業の末期に筑摩書房の担当者がパソコンにワードを入れてくれたので、その後は文字数が計算できるようになりました。
<br>
牛田：そもそもなぜ宮崎駿なのでしょうか。
<br>
切通：僕はもともとアニメより特撮が好きなのですが、アニメの中でも虚構と現実の両方を行き来できる臨場感を持つ作品というと、やはり宮崎さんのかかわった作品だと思っていました。宮崎駿論で単行本を出さないかという話はいくつかの出版社であったんですが、なかなか手が出せずにいました。そうこうしているうちに『ポップ・カルチャー・クリティーク』（青弓社）の宮崎駿特集で小論を書かないかという話がきたんです。いい機会だなとも思ったのですが、連絡の行き違いもあってイキナリ明日締め切りという電話が来たんです。そのままやらなくても責められない状況だったのですが、この際と思って一晩で書きました。原稿用紙400字を30枚程度。宮崎作品から感じたプリミッテヴなものだけ先に出しておけばいいと思ったのです。それにディテールをアップしていく。もともと30枚の原稿だからどんなにのばしても200枚ぐらいにしかならないと思ったんですね。むしろ最初は足りるかなという不安すらあった。そうしたら予想の枚数を大幅に超えてしまった。
<br>
牛田：映画について書くときには、引用する場面を文字でおこさないとわからないって問題があります。『宮崎駿の〈世界〉』は作品論や作家論を書く人にはもってこいのひな形になっていると思います。
<br>
切通：ただ、この後に書いた『山田洋次の〈世界〉』では書き方を変えました。最初から総論にしたのです。『宮崎駿の〈世界〉』はまずは一般的に知られている『風の谷のナウシカ』以降の作品を一個一個想い出してもらってから、それ以前の、アニメファンに支持された『カリオストロの城』とか『未来少年コナン』の面白さを伝えて、さらにそれ以前のテレビのアニメ作品や、スタッフとして参加している作品にも突っ込んで、最後にそれらをシャッフルして宮崎駿論を書こうと思いました。そうしたらあの本の書評で、どうも前半の作品論だけ読んだと思われる人が、作家論になってないと書いているんです。それで『山田洋次の〈世界〉』のときにはそういうことがおこらないような書き方をしました。現実的に山田洋次作品は80本以上ありますから、宮崎駿と同じようなやり方ではもともと無理でもあったんですが。
<br>
牛田：批評の域を超え、論文です、それも新書で安価で手に入る。映画やドラマの作品や作家について論文を書くには『宮崎駿の〈世界〉』はもってこいのお手本になると思います。
<br>
切通：たしかに『宮崎駿の〈世界〉』は論文というかたちでもあるかもしれませんね。『山田洋次の〈世界〉』は評論文というかたちです。両方とも作家論ではありますが、『宮崎駿の〈世界〉』は、宮崎駿の作品を二本ぐらいしか見ていない人から対象にしました。さすがに一本も見てなくてこの本を買う人はいないだろうから。テレビで『風の谷のナウシカ』や『となりのトトロ』を見て、なんか面白いなと思ったっていうぐらいの読者から読めるようにしたんです。だから最初はメジャーな作品から書きました。それで本の前半では過去の作品の話題は出さないことに徹したんです。ナウシカのことを書いているときは、ナウシカのことだけ。ただページが進むにつれ、もう話題に出てきた作品に関してはフィードバックしてもいいというルールを決めたんですね。それで最終段階の総論になったところで、全部をクロスオーヴァーさせるというかたちをとりました。だから最後の総論は本当に書いていて気持ちよかったです。どこから例を出してきてもいいんで。

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   <title>デジタルメディア・プロデューサー　水口哲也 (9)</title>
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   <published>2008-03-04T01:55:21Z</published>
   <updated>2008-04-28T06:33:50Z</updated>
   
   <summary> ―「最後の質問なんですが、ゲームの次に来るものはなんだと思いますか」 水口「ま...</summary>
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      <![CDATA[<a href="http://www.bunka-kaigi.com/archives/002special/24/"><img alt="tetsuya_mizuguvhi_banner.jpg" src="http://www.bunka-kaigi.com/images/tetsuya_mizuguvhi_banner.jpg" width="500" height="100" /></a>
<br>

―「最後の質問なんですが、ゲームの次に来るものはなんだと思いますか」
水口「まだその言葉はないんですね。で来てるし来始めてるんだけど、形容する言葉がないだけだと思ってます。具体的に言うとインタラクティブなエンターテインメントであり、インタラクティブなエデュケーションもあるし、パッシブなメディアは二十世紀までなんで。放送、報道。二十一世紀はアクティブとパッシブが混在する。僕はゲームはこの四十年間が黎明期だったような気がするんですよね。ゲームから出てきたテクノロジーが向かう先が映画やテレビといった既存のメディアとの融合だという気がしてならないんですよね」
―「最近の音楽も色んなジャンルを組み合わせたものが出て来た気がします。これはラップ、パンクってわけじゃなくて」
水口「そういう時代は終わったかもしれないですね。ラップを聞いて楽しむ人がラップを始めるかもしれない。声やリズム感、詩を書く能力をサポートするものがあれば、その人は必ず始めますよね。」
―「初音ミクってご存知ですか？あれってそういう感じだと思いますけど」
水口「どうだろう……可能性はあると思いますね」
―「YouTube、ニコニコ動画、初音ミクといったものが出てきたことによって、こちらがアクティブになれる土壌が出て来たって感じですか」
水口「自己満足を越えて人に影響を与えるには違うレイヤーにはなると思うけど。マスメディアからそれが出て来るかどうかは僕には分からないけど」
―「ありがとうございました」


企画・プロデュース　　山名達郎
テープ起こし　　　　吉本龍太郎
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   <title>デジタルメディア・プロデューサー　水口哲也 (8)</title>
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   <published>2008-03-04T01:54:23Z</published>
   <updated>2008-04-28T06:33:50Z</updated>
   
   <summary> デジタルメディアと創造性 ―「You Tubeからの流れで聞きたいことがあるん...</summary>
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      <![CDATA[<a href="http://www.bunka-kaigi.com/archives/002special/24/"><img alt="tetsuya_mizuguvhi_banner.jpg" src="http://www.bunka-kaigi.com/images/tetsuya_mizuguvhi_banner.jpg" width="500" height="100" /></a>
<br>

デジタルメディアと創造性


―「You Tubeからの流れで聞きたいことがあるんですけど。ニコニコ動画ってご存じですか？」
水口「知ってます」
―「ああいうものを見ていると、こういう芸術学部とか専門学校に通ってない人でもどんどん自分の作品をネット上のメディアを使って発表しはじめると思うんです。アマチュアクリエーターがどんどん増えていくっていうことはどう考えていらっしゃいますか？」
水口「それはいいことじゃないんですか。昔から八ミリビデオとか映画の世界でもあるけで、バンドやろうぜみたいな連中もいるわけで、そういうのが何らかの登竜門になっていくっていうのは全然いいことだと思いますよ」
―「発表する場所ができたわけじゃないですか。いちいち場所をとってお客さんを呼ばなくてもいいっていう。多分これから人間の創造性が高くなっていくと思うんですよ。そういうことをメディアが助けていくとか、考えたことはありますか？システム上……YouTubeとかニコニコ動画とかmixiとかありますよね。ブログとかも発展してきたと思うんですけど」
水口「それは考えたことはありますね、やっぱり」
―「水口さんの場合は自分が何かやってみようと思った時にゲームっていうメディアを選んだわけじゃないですか。それでこれからみんな、作品を発表したいんだけど、どこに出せばいいんだろうとか考えると思うんですけど」
水口「順番としては何を作りたいか、何を発信したいか、どういう気持ちにみんなをさせたいのかとか、そういう大きいイメージがあってそれを実現するためには何を使えばいいのかっていう順番になると思うんですよ。僕も仕事でありましたけど、『これとこれで何か面白いもの作ってくれよ』っていうのが一番辛いんですよね。ただ制約の中から出てくるアイディアっていうのは時に凄いのが生まれる可能性があって、一概にそれが駄目だとは言えないんだけれども。一番やっぱりヘルシーというか健康的なのはこんなのいいよなー、でもどうやって表現したらいいんだろう、どういう風に広めたらいいんだ、あっこんなものがあるじゃないかっていうほうが基本的にはいいですよね」
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   <title>デジタルメディア・プロデューサー　水口哲也 (7)</title>
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   <published>2008-03-04T01:53:28Z</published>
   <updated>2008-04-28T06:33:50Z</updated>
   
   <summary> デジタルメディアと創造性 ―「元気ロケッツを作った時にyoutubeをお使いに...</summary>
   <author>
      <name></name>
      
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         <category term="024.デジタルメディア・プロデューサー　水口哲也" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
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      <![CDATA[<a href="http://www.bunka-kaigi.com/archives/002special/24/"><img alt="tetsuya_mizuguvhi_banner.jpg" src="http://www.bunka-kaigi.com/images/tetsuya_mizuguvhi_banner.jpg" width="500" height="100" /></a>
<br>

デジタルメディアと創造性

―「元気ロケッツを作った時にyoutubeをお使いになったじゃないですか。あの時は著作権のこととかお考えになったりしませんでした？」
水口「しないですよ。だって別にメジャーと契約しているわけじゃないし」
―「とりあえず世界に発信することが重要だったと」
水口「そう。ある人の助言でね。どうせインディーズっていうかマルチシーン？も全部報道しているんだから、youtubeに乗っけて、世界中からどんな反応が返ってくるのか見てみればいいじゃんっていう助言をもらった。でもいきなりyoutube じゃなくて、僕のアメリカ人の友達のジャーナリストが、これを俺のサイトで紹介させてくれって。で彼のサイトで紹介したら、ブログに人がブアーっと集まって、なんだこれなんだこれなんだこれってなって。でそのサイトがパンクしちゃったんですよ。でその前にそれをコピーをしてたヤツがそれをyoutubeに乗っけて、サーバーがダウンして見れなくなった人たちがyoutubeに流れた。でもそのクオリティがあまりにも悪かったので、じゃあここまで来たら自分たちでyoutubeに綺麗なクオリティで載せようってなった。それを見て来た人たちがいっぱいいた。ライブアースの人たちもそうだし」
―「ライブアースの映像もyoutube に載ってますからね。僕はある格闘家の映像を観ていたらたまたま元気ロケットの映像を発見して、それが水口先生のプロデュースだったっていう。映像を観ていると不思議な感覚もするし。アニメーションっぽいプロモーションでもあるし」
水口「一番最初に観た時のことを今でもハッキリ覚えているんだけど、アーハのテイク・オン・ミーってやつ。当時ピーターガブリエルのスレッジハンマーだとか、マドンナもある意味MTV から生まれてきたようなものだし、やっぱりあそこに出てきた新しい表現は今でもはっきり覚えてるんですよね。凄いなーって。音楽と映像が一緒になって３分間、４分間楽しめるっていう感覚が。だからいつか自分にそういうチャンスが来た場合はね、カンディンスキー、Ｒｅｚの流れを音と映像が一体となった共鳴感覚的な映像にしたいなと思ってますし。例えばアーハのテイク・オン・ミー。あれは白黒じゃないですか。音楽に合わせてカンディンズキーの絵みたいにリコライズしてみようって時にどんな表現になるだろうっていう思いがあって、それをじゃあ一回やってみようと。Ｒｅｚでそれをやって、さらにそれを押し進めたのがブリーズっていうもの、さらに押し進めたのがライブハウスのホログラム」
―「ホログラムにするっていうのはご自分の中で何かあったんですか」
水口「最初ちょうどライブハウスでステージをやってくださいって話になって、じゃあそのライブをどう実現させようかっていう時に、その話には高城さんも乗ってくれているんだけど。フランス人の友達が、僕の知り合いで面白いものをやっている奴がいると。で紹介してくれて。東京に住んでる人なんだけど。それが実はホログラムのシステムプログラマーだったんですよ。本当のホログラムっていうのは、カンソウシキみたいなものを作って小さいイメージがあると思うんだけど、今回ここで使ってるのはコーティングされた特殊なフィルムをステージの上に気付かれないように貼って、ＬＥＺのファクターを上向きに貼ると光だけを綺麗に反射させるものが出来るんですよね。そこにあたかも、３Ｄの物があるように見える。擬似ホログラムですよね」
―「世界で三台くらいしかないという話を聞きましたけど」
水口「いや、そんなことはないですよ。今でも実用例はそんなに多くないっていうだけの話で。比較的みんなが知ってる中で言うと、ゴリラーズっていうね、バンドなんですけど実在しない。それがMTVアワードでマドンナと共演したっていうのがあって、それが一つと、あとはバージンミュージックの会長が、発表会でホログラムのスピーチをやったりと。だからそんなに例としては多くなかったんだけど、まあやってみようよって。スッと決まりましたよ。大変でしたけどね」
―「その後ライズのプロデュースもされたみたいで結構大変だったみたいですね」
水口「そうですね。結局元気ロケッツのプロデュースだけじゃなくて、アル・ゴアさんをホログラムで出してその次のショーに繋げていくっていう話になって。ただアル・ゴアさんを撮りに行くとは思っていなかったですね。ライブアースの一ヶ月まえに、どうせホログラムを幕張メッセでやるなら、確実にこれはネットで中継されるわけじゃないですか。アル・ゴアさんは最終的に二十億人に見せるって言ってたけど、少なく見積もっても一億、二億の人は見たと思うんですよ。東京会場のオープニングの元気ロケッツって一体何者だっていう。それで終わるのではなくて、どうせだったら元気ロケッツがアル・ゴアさんを紹介して、アル・ゴアさんのホログラムがバーンと出てきて世界中になんじゃこりゃ〜っていうものをね。ビックリするってことはみんなアテンションするから、そこでアル・ゴアさんが重要なメッセージを言えば当然みんな耳を傾けてくれるわけじゃないですか。それをやりませんかっていう。簡単にそれが通ってしまった。でもうアル・ゴアさんが空いている時間がライブアースの一週間前しかなかったんですよ。ライブアースの一週間前にニューヨークに飛んで、むこうのＮＨＫの方々にも協力してもらったのですけど、エージェンシースタジオをラインバックのスタジオに仕立てて、そこでゴアさんを十五分間撮影させてもらったんです。その撮影が終わったらすぐにファイナルカットっていうマックのソフトで飛行機の中で編集して東京に行ったらすぐにインフェルノっていう機械でCGと合成して、何とか間に合ったんです」
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