びん博士インタビュー(4)
牛田:これは何ですか?
びん博士:標本箱に瓶が入っているのですよ。水戸で行われた展覧会のときに作ったものです。資生堂がまだ西洋薬舗資生堂と名乗って薬を売っていたときの時代のものです。これは西南戦争のときにばか売れしたといわれています。その頃、何にでも効く万能薬として市販されていたのですよ。でも実はモルヒネとか、強烈な薬が入っていたのです。戦争時はすべてが緊急でしたから、一発で効かないと駄目なのです。とにかく爆発的に売れたのですね。「神薬」とか言うと、いかにも日本の薬っぽい名前ですけど違うのですね。

牛田:日本の薬ではないのですか?
びん博士:「神薬」っていうのは洋薬だったのです。明治の初めには和漢薬が一般であった。地方の置薬なんかが扱ったのもそうなのですけど。明治期になると西洋の薬学をとりいれようという動きが出てきました。順天堂医院の創始者佐藤尚中、後に医学所頭取になった松本順などが政府の意向で洋薬を広めようとしたのです。そしてその弟子で資生堂を創立した福原有信もその運動に一役買ったのでした。その後福原は医学者としてよりも事業家として成功していきます。一般に洋薬の代表選手として売り出された「神薬」は、「薬効神の如し」というのがルーツなのですが、徐々に日本全国へと広まっていきました。政府は西洋の薬としてこれを作り、福原を通して日本全土に洋薬を普及させようとしたのですね。明治10年代のことです。この「神薬」の内容物というのは、一体なにかっていうと、もともとはコロロダインっていう、西洋では劇薬とされた薬をもとにしているのですね。産業革命のときに、イギリスでは労働力が足りなかったことで、女性が労働者としてかりだされました。ところが子どもを預ける場所がなかったので、働いている間は子どもを眠らせてしまおうってことで、その時に使われたのがコロロダインなのですよ。もちろん麻薬ですから、赤ちゃんがおかしくなってしまって、薬害がおきてしまったのですけれど、それを何らかのかたちで処方を変えてわが国では「神薬」として普及させたのです。当初はかなり危険な薬だったのですけど、その即効性によって西南戦争のときには爆発的に売れたのですよ。
牛田:今でもあると思うのですが、祖父母の家には常に置き薬がありました。幼いときにそれで遊んでいたらとても怒られた記憶があります。
びん博士;そうです。日本では置き薬のネットワークがあったのですよ。つまり富山とか、奈良とかの置き薬です。それが相当に根強い販売網をもっていたので、政府はいろいろと手を尽くしてもなかなか入りこめなかった。しかし、それでも政府は無理にも進めていくことをしたのですよ。その結果、和漢薬を扱っていた置き薬の業者の中には、ノイローゼになって自殺する者がでるっていう騒ぎになった。でも少したってくると、一般の人たちは西洋の薬といってもたいしたことないじゃないかってことになって、むしろ和漢薬のほうが、効用があるのじゃないかっていうことになってゆく。それでまた置き薬は復活してきます。政府が進めた「神薬」は衰退していくのですけど、今度は置き薬のなかに「神薬」は生きのびていきます。その後「神薬」は酔い止めの気付け薬として活躍する。それが民間レベルで全国に普及していきます。でもクロロフォルムの成分が入っていたということで、「神薬」は昭和30年代には禁止を受け廃れていきます。
牛田:芸人の自伝なんかを読むと戦前、戦中、戦後とヒロポン中毒で悩んでいたことが書かれていました。
びん博士:ヒロポンはさておき、アルカロイド系の薬っていうのがあるのですよ。アルカロイドっていうのは、いわゆる麻薬なのです。作家の星新一の父親、星一が星製薬を創業しました。明治43年の創業です。そしてそこがわが国で初めて国産アルカロイドの開発を一手に引き受けたのですね。しかし星一は身に覚えのない濡れ衣事件に巻き込まれて壮絶な人生を送る。それを思い出しました。で、ヒロポンなのですが、あれは塩酸エフェドリンの入っている覚醒剤でした。それが昭和20年代まで公然と市販されていたのですよ。戦後はみんな体力がなかったのです。それで必要だったのですよ。今はおそろしい覚醒剤とはいえ、当時労働者はそれに頼らざるをえなかったのです。学生も受験のときに使用したりもしたのですよ。芸人さんはヒロポンを使用していることが一つのステイタスなんていう時期もありました。昭和20年代後半になると取り締まりが厳しくなり消えていきました。ヒロポンの瓶はとっても小さいのですよ。小さいサイズというのは日本の瓶の特徴ですね。
牛田:瓶の変遷と時代考証は面白いですね。
びん博士:映画やテレビなどの制作会社の小道具係りから問い合わせがきたりしますね。例えば、歴史上の人物が自殺しようとしたときの毒薬の瓶とか、昭和30年代に心中に使われた睡眠薬の瓶とかの問い合わせですね。また遺跡調査からの問い合わせもほとんどこちらにまわってくるので、これは予想しなかった展開です(笑)。
- 牛田
- 2009年03月04日

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