びん博士インタビュー(2)

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牛田:このラムネ瓶はビー玉が底のほうにあるのですか。


びん博士:底玉式っていうのです。昭和の初めに富山で翠田辰次郎という人が開発しました。普通の玉ラムネ瓶は1872年にイギリス人ハイラム・コッドによって発明されたのです。それを真似た国産第一号瓶は、明治25年頃に大阪の今はなき徳永硝子会社の創始者・徳永玉吉によって作られたといわれています。徳永硝子というのは戦前には飛ぶ鳥を落とすいきおいの会社でした。徳永硝子の50年史の中に徳永玉吉がイギリス製のラムネ瓶をそっくり真似たという記述が残っています。洋文字までガラス瓶に入れてしまったのですよ。つまりオリジナルのイギリスの会社名をです。ダン・ディダンスというのですけど。それがために特許違反で警察に呼び出されたというエピソードが掲載されていました。ただそれを私は冗談だと思って信じていなかったのです。いくら真似するっていったって洋文字まで入れないだろうってね。ところがあるとき、ラムネ瓶に洋文字が入っているのを見つけたのです。それは徳永硝子のものではなかったのですけどね。当時洋文字を入れると箔が付くというのがありました。玉吉にしてもそうしたのだと思うようになりました。おそらく本当の話しだったのですよ。

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牛田:もともとラムネにビー玉って入っていたのですか。


びん博士:そうです。瓶口の部分を加熱してビー玉を入れるのですよ。昭和の初めまで手作りだったので、入れてから軍手をした手で転がして口を閉じたらしいですよ。


牛田:ビー玉というのは常に丸いのですか。


びん博士:一説には、A玉B玉C玉とあって、A玉はおもちゃのビー玉として用い、B玉はB級なのでラムネに、そしてC玉はさすがに使えないっていうので、砂利にしたというのを聞いたことがあります。ただこの話にもはっきりした証拠はありませんけどね(笑)。でもそういう物語として語ると面白いでしょ。

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牛田:この瓶は何ですか?全然見当もつかないのですが。


びん博士:それは漁の網の浮きです。丸い形ですよね。網で包んで海に浮かべる。それは北陸硝子というところで吹いたという記録があります。


牛田:これ浮くのですか?


びん博士:中が空洞だから浮きますよ。


牛田:昔は硝子だったのですね。


びん博士:昔の海岸に行くと、こういう浮きがごろごろあったようで、その浮きのある風景がとても風情があったと聞きました。今はプラスティックになってしまいましたけどね。


牛田:これだと割れてしまいませんか?


びん博士:割れますよ。でも海を汚すことはないのですよ。ガラスは砂になってしまいますから。

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