びん博士インタビュー(1)
今回はなぞに包まれたびん博士、庄司太一さんにお話を伺ってきました。映像作家かわなかのぶひろ先生から、びん博士を紹介していただきました。びん博士はガラス瓶研究家です。『びんだま飛ばそ』(PARCO出版、1997年)、『平成ボトルブルース』(廣済堂出版、2001年)などの瓶についての書籍があります。さらにミュージシャンとしても活躍されています。
インタビュー場所はびん博士が主宰するボトル・シアターです。ものすごい数の瓶、瓶、瓶。瓶のおばけがでるのではないかという怪しい劇場です。というのは冗談で瓶が光をあびて、とても綺麗な劇場でした。劇場は予約制です。びん博士、貴重なお写真ありがとうございました。

牛田:なぜ瓶を集めるようになったのですか。
びん博士:瓶に興味をもったのは、誰も手つかずの分野であったからということと、そして幼いときから博物学が好きだったということがあります。つまり、瓶は人造物のガラクタかもしれないけど、それで博物学的な展開が出来るのではと長い間考えていました。後、私が集めはじめた頃は、誰も注目していなかったので集めやすかったこともあります(笑)。
牛田:ボトル・シアターに飾ってある瓶は、機械作りであるのか手作りであるのか見ただけではわかりませんね。
びん博士:昭和20年中頃に瓶は手作りから機械で作られるようになっていきました。アメリカからISマシーンという高性能の製瓶機が導入されると、一気に大量生産の工業化が進みました。私は昭和23年生まれですので、丁度そんな端境期(はざかいき)に成長したのですね。子どもの頃に手作りの瓶に触れていたぎりぎりの世代です。なんとすでに2歳頃に瓶を眺めて、ゆがんでいるその姿に「綺麗だな」って思ったことを記憶しているのですよ。これはひょっとすると啓示であったかもしれない(笑)。その後20年以上そのことを忘れていましたが、人生に空しさを感じていたある日突然瓶に興味を持つようになったのです。それから本なんかで瓶の歴史を調べはじめたのですけど、瓶についての情報については何もつかめなかった。仕方ないから友人に「古い瓶拾ったらたのむよ」とかいって収集が始まったのです。いろいろ手を尽くして瓶を集めていたのですけど、結局よくわからないし、瓶もそんなに集まらない。それから、アメリカに行くのですよ。そうしたらなんと偶然にもその国には瓶の文化というものがあった。いろいろと資料があったわけです。それにならって日本の瓶でも同じことが出来ないかなって思って、瓶が捨ててあると思われた全国のゴミ捨て場を漁り出しのです。それから怪しいおじさんになったのですよ。だからここにあるのは多くはそうして集めた手作りのものですよ。
牛田:前に頂いた瓶も手作りですか。
びん博士:厳密にいうと半人工です。一部、機械で作られていますけど、今のようにすべての工程を機械任せってことはない半分人の手によるものですよ。
牛田:どこで見分けるのですか。
びん博士:見るとわかりますよ。機械で作られたものは完全なシンメトリーの形なのですよ。質感もガラスの肉質も完璧に均一だったり。ただすごい職人さんなんかは、昔は機械と同じぐらいの精度の瓶を吹いたりしたといわれますけどね。でも長く瓶をみていくとわかりますね。慣れてくるとわかります。

牛田:このコーラの瓶なんかはどうですか。
びん博士:これは全自動の機械作りなのですよ。みんなどれも均一でしょ。
牛田:瓶っていうのは、今のペットボトルみたいに使い捨てではなかったのですよね。
びん博士:そうですね。ほぼ回収して使いまわすか、ガラスに砕いたりしていましたね。昔は「瓶商」っていう商売人がいて活躍していたのですよ。彼らが回収して、選別して、まだ使えるものはそのまま残し、使えないものはカレットというガラス屑にくずして、また瓶にしていくというように回転させていました。
- 牛田
- 2009年03月04日

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