デジタルメディア・プロデューサー 水口哲也 (5)

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感動の連鎖


―「作品とか事象があって、それに感動することがまず必要と。そこから想像したり妄想することで何かを作りたいっていう意欲が出てきてその意欲を叶えるにはどうしたらいいかっていう勉強をして努力とか、練習とかしなきゃいけない」

水口「その繰り返しですよね。結局修行みたいなもので、感動をどう設計するかっていうことを色々やって、あー違ったなーとか、おーこれは予想外に凄かったなとか。そういうことを人よりも多く経験することがね、多分何かにつながるんだろうな、と思いますけどね」

―「結局そういう繰り返しになっていきますよね歴史が。誰かが感動して作ったものが人を感動させて」

水口「あとはやっぱりどうやってリレーしていくかっていうのが、凄く大事なことだと思ってますし、先輩がね、ここでいう先輩は学校の先輩ってことじゃなくてちょっと先の時代の生きた方々のリレーすべきいいもの、自分たちがやっていることでいいと思う物をどうやってリレーしていくかという。それは最近考えますね」
―「アニメが日本独自の文化って言いますけど最初は海外から入ってくるわけじゃないですか。それが日本という国を通して独自の発展を遂げるじゃないですか。それを海外に発信していくことで、何か大事なこととかあると思いますか。説明をしなければいけないじゃないですか、日本人は何故こういうものに感動するのか、とか」
水口「多分説明の必要があるものは駄目だと思う。それは結局いいものは説明なしにいい。受け入れられていく。それを一生懸命説明しなきゃいけないものは、刺さってないと僕は思いますけど」
―「やっぱり世界共通で感じられるものがいい」
水口「そういうことではないんだけれども、例えば自分が何か体験とかメッセージを世界の人々に感じてもらいたいっていうのが根底にあるわけじゃないですか。そのためのツールとかインターフェイスとして色々なものがあるわけですよね。例えばそれはキャラクターかもしれないし、ゲーム機かもしれないし、その層の厚さっていうのがあって、その層の厚さの印象っていうのがあって、その印象が世界に持っていったときにどう思われるかっていう話なんですよね。ゲームをやらない人にこのゲームは凄いんですよねって言っても、いや僕やらないんですよねって言われてそれで話は終わるわけですよ。そういう人達が僕はゲームやらないんだけれども、このキャラクターならどうしても動かしてみたいと思ってしまう、このコントローラーをどうしても触りたいという気にさせてしまう。そういう誘惑というか挑発というか、ある意味それが演出なんだけれどもそれを提示した時に、人間ってやっぱり色んな思いがあるから、あ、これは安心して手が出せるって場合とこれは私の中で経験がないから不安だと。だけど経験がないから湧く好奇心がある。でもあまりにも自分と違うなと思ったら手は出さないし、なんか分からないけど手を出したいと思うものもあるし。でそれは理由は色々なわけですよ。一つだけ言えるのはどんな人も手を出すからにはそこに理由がある。その理由ってのは本当に色々ですよ。欲求とか本能が蠢いているわけですよね。その中でどれだけ多くの人にそのプロジェクトを体験させられるかってこと。例えばこういうキャラクターをアメリカ人の前に出すと『ん?』っと思うわけじゃないですか。でもある面白いプロジェクトの中にポンと出てくればみんな受け入れてしまうわけです。要するに先入観との戦い。人間っていうのが誰しも持っている偏見、先入観、壁、これをいかに壊すかっていうのがアイディア、クリエイティブであり演出であると思うんですよね。その壁を壊すと繋がっていくわけじゃないですか人は。パレスチナの少年とイスラエルの少年がゲームをするという状況を思い浮かべてみると、ゲームをしている二人の表情は同じ。間に壁がある。カメラで撮っているとうわー勝った! まけた! と同じ表情を見せている。そこで壁を取ってご対面。あ、僕の母ちゃんを殺した国の人だ、と分かってしまう。そこにまた壁ができる。エンターテインメントの可能性としては、その壁をどう壊していくかっていうね。だから僕の中ではハイブリットになっていくということは、凄く目指すべき方向性ですね」

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