デジタルメディア・プロデューサー 水口哲也 (4)

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キャラクター作り

―「水口先生の作品の中で、印象的なのは女の子のキャラクターだと思うんですよ。ウララちゃん、エヌスリーのイニフィ、元気ロケットのルミも、みんな女の子じゃないですか。共通点じゃないですけど、未来の女の子っていうのがわりかし共通しているところだと思うんですよ。未来の女の子っていうのは水口さんが意識して作られているんですか?」
水口「結果的にそうなってますね。僕が男だから男のキャラクターを作りたくないっていうのがあるかもしれない。観客がだれなのかって考えたときに、女性とかカジュアルに一般の人達にアプローチしていくかっていう意識が僕の中で強いのかもしれない」

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―「アイドルみたいな感じで」

水口「ものによりますね。たまたま作ってきたものにそういうのが多いっていう。インフィなんかは別に男でもいい。未来の女の子っていうだと、ルミは三十年後の十七歳ですね。ウララは二十五世紀でしょう。」

―「それは水口先生の理想のキャラクターっていう」

水口「そういうわけではなくてキャラクターは作りたくて作っているというよりも、体験、表現をする為に、語り部として使っているわけですから、その語り部っていうのはすべての国のあらゆる人種の人たちのあらゆる性別の人たちに伝わらなきゃいけないわけ。その語り部がどんな人ならいいんだ、どうやったら耳を傾けてもらえるんだってときに、まず僕が気をつけているのは国籍を消すこと。つまりどの国の人も、これは自分の国から出てるものかもしれないって思ってもらえるようにする。先週話した韓国のものは僕のじゃないんで、やっぱり僕がやりたいのはこういうもの。デザインに共通しているのは、ハイブリットなもの。ハイブリットなものっていうのはある意味平和の象徴でもあると思っていて、つまり色んなものが交わっている。例えば交わって出来たハイブリットな人たちが社会に与える影響って大きいと思うんですよ。例えばパレスチナとイスラエルのハイブリットな人たちがいるとしますよね。どっちのことも理解できる。アメリカとイラクが戦争をしたと。アメリカの人がイラクの社会に入って一ヶ月生活したら、彼らの言っていること、感じていることって理解できるはずなんです。それをいいと思うかどうかは別ですよ。ただ理解はできるっていう。逆もまた然りで。だから僕は人類が平和であっていくというのは、人種の壁とかね、色んな偏見を綺麗に超えていけば実現できると思うんですよね。人間としてどうだって話になるから。だから視点を宇宙に飛ばしてみたり、三十年後の地球に行ったことがないっていう女の子。地球上の出来事は全てメディアから入るようになっていて、風とか雨とか青空や虹を見上げるっていう体験をリアルにしたことがない。その体験を歌にしている。夢の世界と同じ。このアナロジーっていうかズレにクリエイティブなエッセンスがある。それはメッセージでもあるし。つまり僕らはそんな当たり前の世界に住んでいるんだけれども、それを美しいと思うとか愛おしいと思うことを忘れていませんかっていう逆メッセージじゃないですか。それを歌い手が普通のバリバリの日本人、ただの黒人、白人だけだと、そこにメッセージの重みが出てこないんですよ。彼女は地球人なんだよね。そのためにはこうでなきゃいけないっていう、逆論法なわけですよ。ウララっていう名前もフランス語の歌であるじゃないですかウララって。世界中色んな名前があるけれども、ラ行っていうのは柔らかいんですよね、やっぱり。ラ行が入ってる名前で国際的なものってなにがあるかなあって。じゃあウララって平仮名で書こうと。アメリカでもヨーロッパでも聞けば笑うわけですね。それならいいじゃないって」

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