デジタルメディア・プロデューサー 水口哲也 (3)

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「Rez」とカンディンスキーそして武邑光裕先生


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―「カンディンスキーとは何時出会ったんですか? いきなり出会うことは無いと思うんですけど。何か流れがあったんですか?」

水口「メディア美学を教えてらした武邑先生のゼミに入ったのが三年のとき。最初の二年間は本を読んだり、映画を作ったり、ニューヨークに行ったり、とにかく自分がいいと思うことをとにかくやってみた。自分が何かを表現するってことをやりたかったんだけど、知識や情報は自分の中では必要じゃないと思ったんですよ。つまり創作とは感性でやるものなので、知識や情報は邪魔ものな感じがしていたんですね」



―「芸術の歴史とかは関係ないと」

水口「そう。インスピレーションというものは凄く大事で、情報や知識はそれを打ち消していくのではないかっていう、そういう怖さがあったんですよね。で、最初武邑先生と出会ったときに、言っていることの七割、八割が分からなかったんです。色んなカタカナとか英語が出てきて、でもなにか凄く重要なことを言っているというのは何となく分かるんですよね。それは自分にとっては凄くショックなことでした。メディアがどうだと、メディアメッセージがどうだと、人間の感覚とか欲求がって話をしていたんだけど、一体この人は何を言っているんだという。でもそれとは別に、この人の言っていることは無視出来ないなという直感があったので、それは大事にしようと。で飛び込んだのがキッカケだったんですよ。だから彼の言っていることが凄いなーってことじゃなく、彼の言っていることが理解できないということを克服したいという思い」

―「武邑先生とは3年生のゼミではじめて?」

水口「ゼミの予行演習期間のようなものがあるじゃないですか。その時が初めてですね。僕にとってはメディアっていうのは凄く遠いところにあったんです。物を創作するところ、クリエイティブに対してテクノロジーやメディアがっていう発想がね。僕には関係ないくらいに思ってました。だけどそれがまた一つ、今の自分がある理由の一つですよね。もの凄い重要な選択だったと思います」

―「とするとカンディンスキーは武邑先生に教えて頂いた」

水口「武邑さんと出会った後は、本当に狂ったように本を読み始めたんですね。それまでは知識・情報を詰め込むってことをしなかったので、その課程で重要だと思ったものって調べはじめるじゃないですか。それまで芸術の歴史って僕にとって全く意味がないものだったんです。過去のことはどうでも良くて、これからどうなるんだと。未来のことを考えれば考えるほど、何を知らなければいけないかというと、テクノロジーやメディアの趨勢を知らなければいけない。そうすると、メディアやテクノロジーの色々な用語とか現代に起こってることを調べていきますよね。そうすると今度は過去に遡っていくと。で、そうするとアートの歴史はどうだったのか、メディアアートに一世紀に起こった事だけを見てもイタリアの未来派から始まって、例えばバーハースとか……。リアルタイムに戦争とか、そういうものと絡み合いながら色んなことをやってた人達のことを知るわけじゃないですか。その情報とか知識っていうものは、与えられたきっかけの中で得たものだったわけですけど、そういった意味では多くの本を読み、多くの知識を入れるっていう作業をし始めたわけですよね。僕の中ではそれは革命的な出来事で、今までは卑しいとまでは言わなくても、要らないと思っていたものだった。それをこれが大切なものなのか、って思い始めるわけですよね。インプットはその時期にやっていて、でもその時は自分の将来に使うものになるとは思っていなかった。作る側に回った時に、本当にこれを作りたいなっと思った一本のうちにRezがあるわけですけど、それを作っていく過程で突然、フッと浮かんで来たのがカンディンスキーだったんですよね。そういえばあそこで言っている事はそういうことなのかなーって。彼の音を聞き続けながら絵を描いた、モスクワを一日散歩して、その印象をたった一枚のキャンパスに詰め込んで描いた。その絵自体は、昔見たときは、まるで子供の絵のように見えた。よくそういうコンセプトで物を書くことができよるよな、と。だけどもう一度その絵を見た時に、本当に音が聞こえてきた感じがしたんですよね。まったく同じ絵を見ているのに、自分の感じ方がまったく変わってくるわけですよ。人生において、そういうことって一杯あるじゃないですか。その時に、あ、自分は進化してるんだなって思えたわけですよね。ちょっとカンディンスキーに近づけた気がしたっていうか」

―「自分も共感覚を得たって感じですか」

水口「いや、共感覚を得たというか、彼の感じたことを、ちょっと理解できたという。で、その理解が少しずつ深まって行ったというか。Rezっていうゲームを作っていく過程で、悩んだり、苦しんだりってことがあったわけですけど、そういう時は色んなインスピレーションを必要とするわけですよね。その時に彼は昔、何を感じたんだろう、何を聞いたんだろう、何を描いたんだろうと調べていくうちに、もし彼が今の時代に生きていて、白いキャンパスの上に何を表現する、このゲームというインタラクティブなコンピューター……ゲームといっても一つのコンピューターなので、何かを創作しようと思った時に、今彼だったら何をやるだろうかっていうのが、今思うと自分自身への大きい励ましであったわけですよね。自分が迷って遭難しそうになった時に、カンディンスキーならここで何を選択するだろうか、みたいな。その通り全部やったわけではないんだけれども、そう考えるとちょっと力が湧いて来たっていうね」

―「エンディングにカンディンスキーの魂に捧げるって出てきますよね」

水口「あれは知らない人からすれば、なにカッコつけてるんだよって言うと思うんだけど、僕的にはもう、スペシャルスペシャルスペシャルサンクスですよ。もちろん彼には会ったこともないし、全然時代も重なってないんだけど、彼の展覧会とか観に行っても、彼の絵から力をもらう感じがするんですよね。僕がこういうことをテーマとしてやったからなんだけれども。昔、歴史について考えていたことといえば、すごく退屈? 暗記しなきゃいけないとか、年号にしたって何の意味もないし、だけど気がついたのは過去の人達やった重要なこと、意味のあることっていうのは、今の時代に見てもいいんですよね。もしかしたらそのいいっていうのの本質的な部分を僕らが見失っている可能性もあって……多くの分野で。例えばお金だけがつり上がって、値段だけは高いんだけど、実はでも本質ってなんだったけってとき。一枚の絵の力が、人の人生を変えたってことを僕らはどれだけ知っているのか、感じているのか。カンディンスキーがやったこと、未来派の人達がやったことっていうのは、あの時代の感動とか、興奮にチューニングを合わせた瞬間にアリなんだよなあって。じゃあ今の時代の先端を生きてる僕らの熱狂とか興奮って何なんだろうって。そうことは大抵、大人になってから気付くんですけどね。そういうきっかけを僕の日芸の四年間が、知らず知らずの内に僕にインプットをやれたのかな、と」

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