デジタルメディア・プロデューサー 水口哲也 (2)
世界の水口哲也の原点
―「先生は現在、世界を飛び回っておられて英語がお上手ですけど、どのようにお勉強を?」
水口「僕は大学時代はまったく話せなくて、大学を卒業して仕事をするようになってからも、しばらく話せなかったです。でも自分のやりたいことに英語がどんどん付いてきたって感じですね。だから学生時代は大学の二年の終わりかな? 大学の二年に入ってすぐに、日本から出た事もない人間ですから。行くしかないと。お金もかかるけど、そんなことを言っていたら一生出ないと思って、二年の春から、今年の冬にニューヨークに行くと周りに言いまくったんですよね。俺は行くからと」

―「自分で自分にプレッシャーを」
水口「自分の背中を蹴るように。で『行くから、行くから』と言っているうちに『行くよね、行くよね』と言われるようになって(笑)、で結局行ったんですね。友達の家に一ヶ月間、居候させてもらったんですけど。それがまた一つの原点というか、出発点になりましたね。本当にたくさんの刺激を受けて」
―「一番新しい芸術がそこにあったわけですよね」
水口「というか、そんな暇も余裕もないですよね。芸術を見る、美術館とか博物館に行くとかいう前に、街に出た瞬間、街がメディアなので。やっぱりその刺激の中で、人種の坩堝でもあるしね。で、僕が一番ショックだったのは、着いて次の日の朝、散歩していたんですよ、ニューヨークの街を。冬だったんですけど、もの凄い寒い中ですごく良い匂いがしてきたんですよ。ドーナツ屋があった。で入って『そのドーナツを一つください』と言った。そしたら同じ物を四つ入れられたんですよ。でも『一個でいいんです』ということを言えなかったんですよ。『あーあーあー』って言ってるうちに四つ入れられて、はいって渡されて四つ分のお金を払っている自分がいたんですね。その時にものすごい情けないっていうか、たった『一個』という言葉も自分は言えないのかと。夢を現実にするためには努力しなきゃいけないって思ったのは。でもやっぱりそこで色々な人と出会って色々な体験をして。いいことだけじゃなくて、失敗談だったり、トラブルが人を育てるわけじゃないですか。そこでいつもドラマがあるし。でもそんなことは最初はわからないわけですね。でも今振り返るとその一ヶ月っていうのが、自分にとって大事な決断だったなあ、と思いますね」
- 2008年03月04日

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