編集長・佐藤真理子―インタビューの情熱―(4)
音楽は素敵、感動を伝えたい
―――なぜ『セブンシーズ』を作ることになったのでしょうか?
佐藤・当時アルクは『ヒアリングマラソン』という商品がとても売れていて、その税金対策というのもあったんですけれど一方で、「捨てられないくらい贅沢な本を作る」というのはアルクの社長の夢でもあったんです。
それで、故開高健先生を編集顧問にして豪華絢爛な本を作ることになったのです。その第1号が出る頃に、『セブンシーズ』の編集長だった人が佐藤真理子をどうしても呼んで欲しいと頼んだらしくて私は『留学クラブ』から『セブンシーズ』へ異動になったのです。
こうして私は一九八八年から二〇〇〇年まで『セブンシーズ』という雑誌に籍を置くことになりました。実際、私は編集の細かいところをやっていなくて、企画に意見を言う最高に良い立場だったんです。
この仕事を一二年間やっていたおかげで人との繋がりがすごくできたし、どうやったら本ができるか、というのはすごくよくわかるようになりました。
―――『セブンシーズ』時代を経て、二〇〇〇年以降はどのようなお仕事をなされたのでしょうか?
佐藤・『セブンシーズ』を一二年間やらせてもらって、とても楽しかったんですけれど、何回かバブルが弾けたりして何回も廃刊の危機に立たされたこともありました。
私は「駄目になったからつぶす」という考えは大嫌いで「考えれば道はある“there is a way”だ」ってその都度社長と話していました。
でも結局アルクは『セブンシーズ』を売ってしまいましたが。何度目かの廃刊の危機にさらされていた時に、わたしはもう嫌になってしまって、リフレッシュの為に音楽会に行きました。
そこでモーツァルトを聴くんです。その時に「なんて音楽は素敵なんだ。」と心から実感したんです。
考えてみれば、特集でこうした「感動」を伝えていきたいのに、アルクの『セブンシーズ』は表面的なリッチな生活やぜい沢さを追及する特集に、やたらに力をいれるようになっていた時期でもありました。
要するに方向性にズレが生じてきたんですね。それで私は二〇〇〇年の七月にアルクを退社しました。
その後いくつかの出版社の方から「雑誌をやりませんか」ってお話もいただきました。
やはり一つのメディアに十数年間いるとみなさん覚えていてくれて、色々話をくれたりするんだなあとその時思いましたね。
何でも一生懸命にやって何か続けていくと色んな所で助けてもらえるものなんです。
でも、どこかの出版社に入るのも悪くないなとは思ったんですけれど、自分はやはり自分の好きな音楽や天才などを特集して、読んでくれた人が「あー面白かった」とか「なるほど」と思ってもらえるような雑誌をつくりたいなと思っていて。
そうするとその頂いた話の雑誌の内容とはちょっとずれていたんですね。もうずれるのはいやだなと思いました。こうなったら妥協はしたくない。
だったら自分でやってしまおうと決心して『ACT4』をつくることにしたんです。
―――最後に『ACT4』の編集長として何か伝えたいことがありましたら……
佐藤・メディアというのはやはりおもしろい。もしサラリーマンをやるんだったら、その会社の社長になってやる、くらいの気持ちでやりたいなと思うけれど、やはりその会社のやっていることが好きじゃなければ続かないですよね。
一生懸命自分の好きなものを作っていれば分かってくれる人は必ずいると私は思っています。
『ACT4』はオペラなどの特集が多いために、結構読者層は四〇代から五〇代の方が多いのですが、わたしはこれからいくらでも可能性のある二〇代の人たちにもたくさん読んでもらいたいですね。
芸術は音楽でもなんでも国境や年齢なんて関係ないなと感じさせられる瞬間があるのが本当にすばらしいことだと思います。
感動を共有することってすごいことであり、これこそ『ACT4』という雑誌の最大のテーマです。
- 2008年02月21日

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