編集長・佐藤真理子―インタビューの情熱―(3)

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面白さを見出せない。何か違うな。


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―――では、佐藤さんが『ACT4』の編集長になるまでのお話を聞かせていただきたいと思います。まず、『ACT4』以前は出版社のアルクに勤めていらっしゃったということですが、さらにその前は何をされていたのですか?


佐藤・最初はキャセイ航空日本支社東京支店という所で働いていました。飛行機がとても好きで始めた仕事だったんですけれど、実際は地上勤務で飛行機には乗らなかったし、自分の中でカウンターでチケットを切ったり計算をしたり予約をしたりっていう仕事に面白さを見いだせなくて。
結局二年で寿退社して夫と名古屋に引越しました。



―――家庭に一度は入られた佐藤さんがどうしてまた仕事をするようになったんですか?
佐藤・名古屋に行って、一ヶ月くらい奥さんをやっているうちに最初は楽しかったんですけれど、何か違うなと思いまして。
それで朝日新聞の求人広告を見たんですね。そしたらそこに英会話学校の先生の募集があったんです。家からも近かったのですぐに自転車でバイトの面接に行きました。
それで採用になって朝の一〇時から六時くらいまで英語の教材を準備したり、スケジュールを作ったりする仕事をしていました。しばらく働いていたら、ひょんなことから私がマネージャー代理に抜てきされました。
そこの学校はもちろん英会話教室みたいなのもあるんですけど、他に企業に英語を教えに行ったりしていたんですよ。色んな企業の社員の方に外国人の先生を派遣してスケジュールを組んだりね。
そうやってどんどん仕事が楽しくなってくるうちに、今度は旦那さんが転勤になってしまったんですよ。それで私は仕事がおもしろかったし、その転勤先に一緒に行く事はできないなと三〇歳くらいの時に気づいてしまったんですね。
その後しばらくして「このまま名古屋で終わりたくないな」っていう気持ちが私の中でむくむくと現れはじめて、一人で東京に帰る決心をしました。


面接の時に「編集長をやりたいんです」
―――それでアルクに入社なさるんですね。どのようなきっかけでアルクで働くようになったのですか?


佐藤・東京に帰ってきた私は、また英会話学校の仕事を見つけたときのように新聞を開いて仕事を探していたんです。
その時にアルクの文字が目に入りました。
今までの仕事が航空会社などの結構派手なイメージのところだったので、私はその出版社っていう知的なイメージの仕事に非常に惹かれて履歴書を書いたんです(笑)。
全部自分でタイプを打って作った手作りの履歴書を。


―――履歴書を手作りしたんですか?


佐藤・はい。私、航空会社の仕事の面接のときから履歴書は手作りでやっていましたね。
アルクの時もそういう手作りの志望理由や今まで経歴をきちんとまとめた履歴書が良かったから通ったんだと思っています。
それで面接があったんですけれどその時にアルクの社長に「佐藤さんはこの会社に入ったら何がしたいですか?」って聞かれたんです。
私はなんでこんな簡単なこと聞くのだろうと思って「当然、『イングリッシュジャーナル』(アルクの出版している本の中で一番有名な本)の編集長をやりたいんです」って答えました。
当たり前ですよねそんなの。まあ試験官の皆さんは「そうですか・・・」って笑っていましたけど。(笑)


―――それで受かって『イングリッシュジャーナル』の編集部に入られるんですか?


佐藤・いえ、そこで無事受かったんですけど、『イングリッシュジャーナル』の編集部にはまわされないで、企業営業部という『ヒアリングマラソン』を企業に売り込む部署にまわされました。
それでその営業という仕事もすごく有意義だったんです。大企業をまわって、『ヒアリングマラソン』をおすすめするうちに、顔も覚えてもらい、様々な人脈ができました。
ある日異動があって、私は中学から高校の子供たちの留学のお世話をする『留学クラブ』というクラブの設立のためのチームに入りました。
その後『セブンシーズ』という本を作る事になって、私はアルク『留学クラブ』から『セブンシーズ』へ異動となりました。

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