新聞記者・芥川喜好に聞く―激動の時代を生きて―(3)
―では、昔から美術に関係する、例えば絵を描いてらしたとかそういうのはあったんですか?
芥川 まったくやっていないです。美術とは全く縁がなかった。いや、全くと言っては御幣があるかな。大学の学科は美術史というところでしたから、私は。大学に入った時は、ロシア文学を専攻していたのですが、2年の途中で美術史がやりたくなったのです、なぜか。

―なぜか、ですか。それまでは美術館に通いつめたりなどはしていたのですか?
芥川 まったくないです。それが突然なぜか美術史がやりたくなったのです、これが。ただ、今思うとですが、美術史というのはどうにもならない学問、つまり世の中の役に立たないような気がしていて。語学などは役に立つ学問ですが、それよりもどうにもならない美術史の方がいいとなったのだと思います。でも突き詰めて考えると、どうして美術史だったのかはわからないですね。ただ私が美術史に具体的な興味があったとすれば安藤更生さんという日本のミイラの研究をしている人がいて、その先生が美術史にいたのです。私は日本のミイラに興味があったので、その人に学問を習いたかったということはあります。どちらにしても世の中の役に立たたないことをやりたかったんじゃないですかね(笑)
―一方で、学生時代からマスコミ関係に就職したいという思いはあったのですか?
ジャーナリズム関係に就職したいというのはありました。新聞社ということはまったく考えなかったけれど、出版に行きたかったのです。当時は、出版社を受けるためには学校の推薦が必要で、講談社と平凡社と文芸春秋のこの三つの推薦をなんとかもらえまして。でも平凡社は、願書出しただけでその年の試験が中止になってしまいました。要するに会社が傾いてしまったので。講談社は早稲田の経済学部の一番大きい教室で試験をやったのですが、そこに何百人も学生がいて、もうこんなの受かるわけないと思いまして、試験受ける前に友人何人かと教室を出てしまったのです。文芸春秋は、寝坊してしまい2時間目から受けたんですよ。なぜかというと、前の晩に大学の友人の家に泊めてもらって、そこから試験会場の上智大学へ行く予定だったのです。でも、お酒を飲んでしまいまして(笑)、起きたらもう間に合わない時間でした。でもせっかく起きたので行ったのですが、1時間目は終わってしまっていました。
―では一つも最初から最後までは受けられてないんですね。
―そうです。だから実に、いいかげんな人生でね(笑)喜んで3つの出版社に願書を出したのですが、ひとつもまともに受けなかったという。本当にいい加減でした。
- 2008年02月21日

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