新聞記者・芥川喜好に聞く―激動の時代を生きて―(2)
2年の途中で、美術史がやりたくなったんですね。なぜか。
―今日はよろしくお願いします。では、早速ですが、大学時代はどんなことをしてらしたんですか?
芥川 我々の学生時代は、いわゆる70年安保闘争、大学紛争があった時代でしたね。世の中に対して異議申し立てをするというか、既成の秩序に歯向かっていくという雰囲気がありました。それで、大学には学生運動の組織が乱立しているわけです。特に早稲田の場合は『学生運動のデパート』と言われていましたから。その中で私は現代詩のサークルに入っていて、そこで3年間世の中を糾弾するような詩を書いていました。それを、自分でガリ版印刷をして『アピールのための詩を書きました!読んでください!』なんて言いながら、早稲田の正門のところで配ったりして。その中身は『機動隊を殲滅するための15章』とか、そんなタイトルの詩が書いてあったりするんです(笑)

―それはまた過激な詩ですね(笑)
芥川 過激でした(笑)それなりに過激な世の中でしたね。詩を書いているというよりは、世の中の動きに関わりながら、アピールしていたのだと思います。部室にはヘルメットが置いてあって、結構デモ行進なんかにも参加したりもしました。ただし、セクトには所属していないので、ガチガチの運動家という感じではなかったです。学科の勉強はほとんどしていません。ましてマスコミに就職するための勉強は何もやっていないです。
―そんな過激な学生時代を送ってこられた先生ですが(笑)、お母様はどんな方でらしたんですか?
芥川 厳しい人でしたね。スパルタ式ですよ。私の父親は銀行勤めで、銀行勤めというのは転勤で全国転々とするのです。私も学校が三つ変わっているのですが、そうすると、子供強く鍛えとかないといけないということで、厳しく育てられましたね。いわゆる今の教育ママのはしりなんじゃないかな。私は音楽をやらせれたり、わりと何でもやらされました。
- 2008年02月21日

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