王様に聞く 王様の作り方(5)

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「一年半が鬼門だよね」
 
――すごく思い切った決断ですよね。その後は音楽漬けの生活を送るようになったのですか。
 いや、そうでも無かったんだ。初めから、一人でデビューというのは難しいだろうと思っていたから、裏方の作曲家としてアイドルなんかに曲を提供しつつ生活出来ないかなとか考えていたんだ。
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だけど世の中そんなに甘くない。多重録音をしながらディスク・ショップでバイトという日々が続いたんだ。家なんか、四畳半、風呂なしでね。しかも結局、十二年間もそこに住んじゃったんだ。そこを出ると決めたときには二階にあるフロアー全部借り切っちゃったりして。二階は全部、僕の部屋みたいな(笑)。まあそうは言っても、結局のところ、今で言うフリーターと変わらない生活をしていたんだけどね。
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 ――普通のフリーターは、二階を貸し切りになんてしません(笑)。では、どのようにフリーター生活を抜け出したんですか。
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転機があるとすれば、二十九歳の時かな。それまでの多重録音生活の中で出来た、多重録音仲間の一人が、とあるプロデューサーの目に留まったんだ。そしてデビューさせてもらえることになった。
でも一人でデビューというわけではなく、バンドとしてデビューする必要があったみたいなんだ。その時に、そいつから僕にギターとして参加しないかというオファーが来たんだ。当時、僕はフリーターだったから、断る理由なんて何も無いわけ(笑)。即承諾して、ギター兼コーラスとしてそのバンドに参加することになったんだ。そしてメジャーレーベルからCDを出してもらい、一年半くらい活動していたんだ。
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でもボーカルとの音楽性の違いなんかで喧嘩になっちゃって、そのまま僕だけ脱退ということになったんだ。この時、学んだことは、僕が何かを始めた時は、一年半が鬼門だと分かったことかな(笑)。会社もバンドも一年半で辞めてしまったからね。
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何だろう、たぶん他人に命令されて何かをするということが嫌いなんだと思う。一年半くらいなら他人から押し付けられことでも「はい、はい」と我慢しながらこなしていくことが出来るんだけど、それ以上になると「もう我慢できない。辞めてやる」ってなっちゃうんだよね(笑)。次男坊だからかな? 
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でも脱退してからの数年間は人生で一番、詩と曲について考えた時間だと思う。多分、バンドを脱退したやるせなさとか、悔しさみたいなものをぶつける場所が欲しくて、それをそのまま音楽にぶつけていたんだと思う。そしてその時たどり着いたのが、英語の詞を日本語に直訳するというスタイルだったんだ。

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