王様に聞く 王様の作り方(3)

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「学生時代は、『他人との繋がり』を学んだんだ」


―― 少し話しは変わりますが、ご自身のことを『王様』と呼んでいらっしゃいますよね。いつ頃から『王様』と名乗り始めたのですか。


30歳位からかな……。それまでは王子様だったから(笑)。元来、チャラチャラした感じが好きとか、他人より目立ちたいという気持ちが強いんだと思う。普通の家に育ったから、学生時代なんかは硬派で、普通の学生だったんだけどね。学生時代はずっとハンドボールをやっていたし。これでも見かけによらずバリバリの体育会系だったんだ。


―― ハンドボールですか(笑)それはまた意外ですよね。何故、急にハンドボールを始めようと思ったのですか。


中学生の頃に始めたんだけど、その当時担任だった先生が、ハンドボール部の顧問をやっていたんだ。しかも、今始めれば即レギュラーになれるって言うから、その言葉につられて……。ほら、僕、目立ちたがり屋だから(笑)ただ、レギュラーになれたのはよかったんだけど、ハンドボール自体がとても地味なスポーツだったから、結局ハンドボールで目立つことは無かったかな。


でも同時に、その頃からバンドを組み始めて、文化祭の時なんかにちょこっと活動していたんだよね。だから、学校の中では目立っていた方だと思うよ。きっとハンドボールは単純に好きだったんだよね。



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―― 中学時代はハンドボールにバンドと大忙しだったと思うのですが、高校生になるとやはり音楽に力を入れていくようになるのですか。


いや、ハンドボールをやってた(笑)。もちろん、軽音部にも所属していたんだけどね。僕の通っていた高校は、少し変わっていて、体育会と文化部の両方をやらなければいけない学校だったんだ。それなら、中学時代にやっていたハンドボールが結構面白かったし、高校でも続けてみようかなと思ったんだ。だから、月・水・金はハンドボール、火・木・土は軽音部という感じに、自分の中で使い分けていたんだ。 
  
でも中学時代に比べれば音楽に割く時間は、確実に増えていたと思う。この頃からオリジナルバンドも組み始めたんだ。
女の子をボーカルにしてね。ほら、どこの学校にもいるでしょ、『あたし、自分で歌うし、詩だって自分で書いちゃいます』っていう女の子。でも本当は、エアロスミスやレッドツェッペリンなんかの曲をやりたかった。だから、文化祭の時に彼女に黙って、勝手に弾いちゃったりしたんだ。彼女も自分で書いた詩を自分が歌えれば後はどうでもいいって感じだったから、何の問題も無かったんだけど、今から考えると結構可愛そうなことをしたよね(笑)。


――大学生になったあたりからプロのミュージシャンを目指し始めたのですか。
 

そういうわけでもないんだよ。確かに大学に軽音部っていうものはあったんだけど、『場所は貸しますから、入部するならバンド単位で入って下さい』っていうシステムの部活だったんだ。入学したての一年生にそれは酷な話だよね。だって知らない奴しかいないんだから。辺りを見回しても、自分と音楽の趣味が合いそうなやつはいなかったし……。


そうこうしているうちに、大学で高校のときハンドボール部だった先輩に出会ったんだ。もちろん先輩は、僕が高校の時、ハンドボールをやっていたことを知っているから、誘って来るんだよ。『お前、高校の時ハンドボールやっていたよな。僕、大学でもハンドボールやってるから、お前もやれよ』って感じに。それで、いつものように、流れに身を任せるまま、大学でもハンドボール部に入部したんだ。
しかも、トントン拍子に偉くなっていって、気付くと副部長にまでなっていた。もう、抜けられないところまできていたんだよね(笑)。


――大学生の頃に音楽はやっていなかったのですか。


 大学では、軽音部に入るという形ではやっていなかったんだ。四年生の四月位から、高校時代の友達とバンドを組んで、ちょこちょこ活動をしてはいたんだけど……。


僕の大学時代ってハード・ロックやロックが死んだといわれた時代だったから、何か追い求めるものが無くなっていたんだ。音楽を聴いたとしても、ポリスとプリテンターズくらい。高校時代のように音楽にのめり込むようにはならなかったんだ。だから大学生の時はハンドボールばかりをやっていた(笑)。


 ――では、大学生の時には現在の活動に繋がるような勉強はされていなかったのですか。


 う~ん、音楽という点から見れば何も学べなかったかもしれないね。ただ大学では、人間として当たり前のことを学ぶことができた。人間関係とかね。
僕の持論として『いいアーティストは、いい性格である』というのがあるから、大学生活で学んだことは、今でも僕の糧になっていると思うんだ。


 当時は若くて気付けなかったことなんだけど、僕はいつも、人との繋がりから事件が起きる傾向があるんだ。デビューにしても、『王様』というキャラを作るにしても、自分ひとりの力では到底達成することが出来なかったと思う。
言葉で表すと安いものになってしまうけど、『他人との繋がり』、それを学べる環境を与えてもらったことが、一番大切なことだったと思う。
 

まあ、学業という点から見れば、あまり役にたったとは言えないかな。経済学部だったから……。でも、英語で書かれた経済の本を日本語に和訳するという課題が、毎日のように出されていたから、それが直訳ロックという今のスタイルに結びついているのかもしれないね。
 

あとは、学んだことではないんだけど、結婚式を大学で挙げたことも良かったことの一つかな。ミッション系の大学だから、キャンパス内に教会があるんだよ。しかも、卒業生は安く借りられるしね(笑)。
 

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