写真評論家・飯沢耕太郎(4)


写真評論家・飯沢耕太郎


価値基準の崩壊


――写真の価値基準について、もう少し詳しく聞かせてください。


飯沢 いまや、かつての価値基準は通用しません。かつての価値基準というのは、たとえば、きれいな写真を撮ることだとか、構図、焼き方がすばらしいだとか、そういう話。でも、そういう基準はもう、壊れてしまっていて、その瓦礫をかき集めてなにかを作っているという状態です。


 では、面白ければなんでもいいのかという話になるけれど、そうもいかない。僕自身も近代写真(モダンフォトグラフィー)の価値基準で育ってきているわけだしね。全否定するわけではないけれど、新しい時代の価値基準がまだ作れていないんだよね。


 九〇年代以降、写真が現代美術の一分野になってしまった。そうすると、写真が現代美術の文脈の中で語られるということが多くなってきた。だけど、あらゆる写真がその中に納まってしまうのかと言われると、そういうわけでもない。微妙なジャンルの棲み分けは、今でもあると思います。


 文学の場合、ジャンルの流動や格差というものは、写真や美術の比ではないでしょう。それこそ、文学といっても、純文学からエンターテイメントまであるわけだし。ようやく写真がそういうふうになってきたという言い方もできます。


 僕は純粋な人ではないから(笑)、純文学一本槍だとか、そういうふうにやるつもりは全然なくてね。なるべくならば、写真というジャンルのなかに、色々な価値基準があるんだということを、うまく整理し、伝えていきたいと思っています。


―― そういえば、最近、梅佳代ちゃんの写真がすごく人気がありますよね。ある意味、気のぬけた写真で、面白いですよね。あの方も、価値判断の基準のところをすり抜けて出てきた人ですよね。


飯沢 彼女は、まず、キャラクターが面白いよね。今は、「誰でも撮れそう感」というものが大事なのかもしれない。


 それにしても、一見、撮れるようでなかなか撮れない写真があれだけ集まっているということは、ある意味、奇跡的ですよ。彼女には、変な眼力があるのかもしれないな。普通の人が、一年に一枚しか撮れない写真を、沢山撮ってしまうわけだし。ああいう写真集が五~十万部売れるというのは、なかなか面白い時代だと思います。

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