写真評論家・飯沢耕太郎(2)


写真評論家・飯沢耕太郎



写真のことを書く仕事


―― 写真評論家として、先生は一年におよそ何冊くらい、本を出していらっしゃるんですか。


飯沢 平均して二~三冊じゃないかな。以前は詩も書いていたんだけれどね(笑)。大学時代、『螺旋』という同人誌があって、『現代詩手帖』にも詩を投稿していて、名前は一部では知られていたんですよ。


―― 大学時代は日芸で過ごされて、その後、筑波の大学院に進まれましたよね。それから、博士論文を筑摩書房から本にされて。


飯沢 そのあたりの話は、『写真評論家』という本にも書いたんだけれど、さっき言った『螺旋』の同人の一人に偶然、国会図書館で会ってね。この人は当時、東大を出て、筑摩書房に勤めていたんです。僕が博士論文を書いていることを話したら、「後で見せてくれ」って話しになって。それで、できたのを見せたら、「本にしよう」っていうことになったんです。それにしても当時は、文科系の博士論文は、プレッシャーが大きくて出しにくい状況だったよね。


―― 当時の筑波の大学院というのはどのような感じでしたか?


飯沢 筑波では、僕の同期はひとりしかいなかった。大学院には、ドクターを入れると通常五年のはずなんだけれど、七年いました。


―― ちなみに学費はどのくらいでしたか?


飯沢 よく覚えていないけれど、そんなには高くなかった。五年間は、育英会から奨学金を貰っていて。ついこの間、二〇何年かけてやっと返し終わったよ(笑)。


―― 先生のように、博士論文を本にされて、評論家として一本立ちしてやっていくというのは、多くの学生にとっては夢だと思います。


飯沢 博士論文を書いたのは、三〇才前でした。日芸のときは写真学科だったけれど、筑波に入って、写真のことを書く仕事へと方向転換したんです。


 思うんだけれど、フリー向きの体質というのもあるからね。まず、仕事が早くなければ。集中力とスピードが肝心。僕はせっかちだから。A型だし(笑)。


 それから、大事な要素は、ポジティブなこと。それと、若いころは、やはり、出会いが大事だったりするよね。僕の場合、ラッキーな出会いがあって、さっき話した筑摩の編集者との出会いもそうだし、それから、うちの奥さんとは、大学院のときに既に同棲していたし。うちの奥さんはもともと編集者で、いまは文章も書いています。


―― 先生の本はとても読みやすくて、面白いのですが、文章力はどうやって身に付けたのですか。


飯沢 言葉に対する運動神経というものがあるんじゃないのかな。五~十枚の文章を頼まれたとすると、まず、文章全体の輪郭が見えてくる。五枚で書けと言われたら、五枚に合わせた全体像が見える。ただ、書いていて、変わってくることはあるけれどね。


 書くべき材料があって、この場で書けと言われて書けなければ、フリーとしてはまず無理。あと、どこでも書けるというのは大事だよね。普段、僕は書斎なんて使わないもの。立派な環境でしか書けないなんて、幻想だよ。

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