宗教学者・島田裕巳(6)
〈書く〉仕事
島田 今は、経済的に、本を出さないと食っていけないから(笑)。だんだん、次に繋がるように仕事をするようになってきていますね。こういう本を出すと、次にこういう仕事が来るかな、とかね。
文章って不思議なもので、『週刊新潮』に、「日蓮のDNA」という創価学会についての短い文章を書いたんです。この文章をきっかけにして、別のところからも仕事の依頼がきたりして、今、僕がやっているいくつかの仕事というのは、全て、その短い文章がきっかけだった。
―― 先にも言いましたが、本当に先生は毎年次から次に本を出されていますよね。ブログも更新して、書きまくっていらっしゃいます。
島田 忙しいときは、逆に仕事を増やしたしたほうがいいかもね。なぜなら、ひとつは、仕事が増えると、ひとつの仕事に対する心理的な負担が軽くなるし、忙しいから合理的になる。それに、仕事って、それぞれ、意外に関連しあっているものなんだよね。あるきっかけで、自分の領域が、少しずつ広がってゆく。だから、半分計画的で、半分は無計画。あえて、計画に余白を残しておいています。
TVで見たんだけれど、ある職人さんで、ここ何十年か、家から出たことがないって人がいらっしゃるそうです。一日中、ずっと仕事だけしていてね。そのことを知り、妙な感動を覚えました。そういう人生もあるんだな、って。書くというのは、やっぱり、職人仕事に通じるところもありますね。
――書くときは、おもに誰に向けて書いているんですか。
島田 読者に向けて書くとか、そういう意識は必ずしもないです。「これを誰かに伝えたい」とか、そういうのはないです。伝えるというより、書くということが自己目的化しているところがあります。僕はワープロで書くんだけれど、書いて、完成してしまうと、もうあまり興味がない。書いているときのほうが断然、面白いね。
今の本って、世に出すとすぐに、売れるかどうか、大体分かっちゃうんだよね。出た日の感触で。在庫の数とかも出ちゃうし。読者の反応や書評よりも、むしろ最初に気になるのはそれなんです。重版になることなんて、本当に稀な世界ですよ。売れているのであれば、ある程度の悪口を書かれても、平気なんです(笑)。僕はなにより、売れてるかどうかの数字のデータが怖いです(笑)。
ブログで感想などを書いている人って、たいてい、著者がそれを読んでいるとは思っていないんですよね。でも、意外にも読んでいるんですよ。だから、昔より反応がダイレクトにわかる。例えば、批判を書かれたことに反応すると、また叩かれる。著者の置かれた環境って、文壇史的に考えれば、昔とは違ってきていると思います。シビアな闘いですね。
――では最後に、日本人にとって、先生にとって、「信じる」とは、「宗教」とは何か、聞かせて頂きたいです。
島田 二一才のとき、ヤマギシ会の研修会で、どうして自分は腹が立つのかを調べて、それを徹底的に議論したことがあったんです。そして、腹が立たないようにする。その体験は、人生の中でも大きかったかな。人間、腹が立たないのが本当なのかな、って思いました。
野球の松井選手も昔、人に対して怒りをぶちまけたら、反対にすごく怒られたらしい。それ以来、「人のことは悪く言わない」と心に誓ったらしいですね。彼の家は、たまたまおばあさんが宗教の教祖なんです。松井選手は、どんな状況にあっても、必ず試合後のインタビューを受けていますね。イチロー選手は「そんなの僕には絶対無理」って言っていたけれど。
なにかを信じる、信じないということよりも、人のことを悪く言わないということを彼が守ってきたことにより、彼自身の人生が変わったということを聞いて、僕は感動した。いわば、人と付き合うときの方向性の問題だね。そこに、もしかして、僕にとっての「宗教」の原型があるのかもしれない。
自分に対しての試練、枠を自分に課して、最後までやり通すということ。それは格好いいことだよね。我々の宗教の核にあるのも、そういう部分なのかもしれないと思います。
―― 島田先生、今日は本当にどうもありがとうございました。
インタビュアー 山下聖美
高橋数
テープ起こし 栗原隆弘
編集 山下聖美
- 2007年09月30日
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