宗教学者・島田裕巳(4)

宗教学者・島田裕巳

日本女子大学での五年七ヶ月


―― 私が入学したのが、翌年の一九九一年です。その頃、先生はすでに有名人でしたね。一般教育の「島田先生の宗教学」は大人気でした。


島田 僕は、妹二人に、母親はもちろん、祖母もいた家庭で、わりと女性環境に慣れていました。だから、女子大にいっても、期待もなければ違和感もなかった。あそこは、文学部の中に、史学、英文、国文の三つがあったよね。僕は史学科。あの大学の中で、史学科だけは変わっていて、付属高校からの内部進学者があまり来ないんだよね。


―― そういえばそうでしたね。学科ごとにカラーがあって・・・・ 私のいた英文学科は女性の先生がたくさんいて、史学科とは全然違う雰囲気でした。なんだか、懐かしいですね。


島田 史学科では、社会科の免状を出すために、哲学・宗教学の人間がひとり、必要だったんです。そういう理由で、僕のようなポジションができた。だから、史学科の人は別に宗教学なんてほしくなかったんだよね。最初は、それこそ窓際じゃないけれど、隙間家具扱いだった(笑)。卒論も担当できなかったし。だけど、学生を言いくるめて、自分の学生を確保し、卒論ゼミを単位化して、少しずつ力をつけていったんです。


また、僕は、大学と付属高校との連絡委員もやっていて、その仲の悪さも改善もしたんですよ。女子大の、いまの教育プログラムにけっこう貢献したんですが、結局追い出されちゃった(笑)。ここでは、最後の七ヶ月だけ、教授でした。それが、四二才のときですね。

 
―― あの頃はいろいろありましたね。ちょうど私が卒業する日の三月二〇日に、地下鉄サリン事件がおきて。先生も当時はかなりの被害を被っていますよね。詳細は『オウム なぜ宗教はテロリズムを生んだのか』という御著書に書いてありますが、私が思うに、先生は目立っていたので、世間や大学からいろいろと嫉妬されたんでしょうね。


島田 うーん、結局は合わなかったってことかな。でも、女子大で教えた経験は貴重でした。今思えば、大学を辞めてよかったとも思えますね。

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