編集者・新井信 (7)

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向田邦子との思い出

山下 では、堅い口を少々ゆるめていただいて(笑)、担当された作家の方の思い出話をきかせて頂けますか? さしさわりのない範囲で結構ですので。

新井 向田邦子さんには、デビュー作の『父の詫び状』を出させていただきました。『銀座百点』というPR誌に連載していたのをみて、素晴らしい新人がいるなあと、すぐに手紙を出したんです。そのときには一瞬早く、某社から電話で申し込みがあり、口約束したらしいんですね。ですけど、あなたのお手紙が素敵だったから、おたくで本を出したいと言ってくれました。もちろん、「ひとたらし」の向田さんのことだからお世辞だと思いますよ。某社を断ってくれたのですが、後でそちらの偉い人が私のところに乗り込んでくるという一幕もありましたね。その頃すでに、向田さんはテレビ界では大御所だったんですよね。テレビドラマには無知だったもので、うかつにも凄い新人が現れたと思ってたんです。ご家族のことを描いた作品のため、初めのうちはご家族からはとても嫌な顔で、担当者の私は見られていました。

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 私は前にも言ったように、文芸分野はあまり縁がなかったのですが、向田さんがその後直木賞を受賞されたので、数少ない文芸作家の担当になったというわけです。向田さんが航空機事故に遭われた日は、ちょうど東京に台風が接近していた日です。偶然にラジオをつけたら、K・ムコダといってるんです。遺体が帰られたときは成田の記者会見場にいましたし、一周忌の会では司会をしました。献杯というところを乾杯といって冷や汗をかきましたね。向田さんのマンションは5階でしたが、お通夜の晩、女優の岸本加代子さんの乗ったエレベーターが泣き声とともに下りていったのを思い出しますね。 
 その他にも、ノンフィクションから小説に転向して、賞の候補に挙げられた某氏の担当だったことがあります。今回は間違いないと関係者多数、飲み屋の座敷で待機していたんです。そこで選考会の現場にいる担当者に、もし落ちた場合は、私にまず電話してくれと頼んでおきました。取材でNHKがカメラを含めて数名も座敷にいるんです。いよいよ廊下の公衆電話が鳴りました。私が出ると「残念でした」というわけなんです。座敷はシーンとしている。ふすまを開けるのがものすごく恐かったですねえ。
 張り込んでいた取材陣も早々に引き上げ、待機していた知人たちも一人去り、二人去り、気がついたら著者と私の二人だけが残されていたんです。こういうときは、慰めようもありません。何を言っても嘘っぽい。がっくりしているその人と、冷や酒を黙々と飲み、夜明けに屋台のラーメンを啜って別れました。翌日になって、その人が会いたいというんです。うちで予定していた本を他社で出すことにしたと宣告されました。たしかに賞はうちの関係団体の主催ですが、社とは関係ない。まして選考は公平に行われて、われわれ社員は介入する余地もない。こんどは私のほうが泣きたかったですよ。それでも私が担当した3度目の候補作で受賞しました。そのときは互いに涙が止まりませんでした。

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