編集者・新井信(5)

編集者の本能と直感
新井 編集者というのは、日頃からあらゆる印刷物に目を配っているものですが、小さなPR誌かなんかで、短い文章の中にもビビっとくるものにぶつかることが多々あります。これは凄いぞと思うと、本当に背筋に寒いものが走るんですよ。思わず辺りを見回してしまうほどです。他の人が、あるいは、他の編集者がまだ気づいてないだろうかってね。同じネタを見ても、ピンとくる編集者と、感度の悪い編集者がいて、この差は大きい。私も30代半ばから40代にかけては、自分がこれはと思ったものはすべて当たるという過剰な自信がありました。私が面白いと感じたものは読者も面白いと思う、私が才能があると見込んだ人はホンモノだ、という風に。けれど、悲しいことに、いつか世間の反応とズレを生じることが出てくるのです。こうなると編集者も終わりでしょうね。文春の創立者菊池寛は「編集者35歳定年説」を言ってたそうですよ。
各社に編集者は山ほどいるわけですが、どこの社にも仕事のデキル編集者の固有名詞は大体決まっていますね。この本を作ったのは、あいつに違いないってすぐ分かる。私はいつも、他社から引っこ抜かれるほどの力を付けろと編集部員にハッパをかけて来ました。たとえば『五体不満足』がヒットしたとき、乙武さんの出たテレビ番組を同じに見ていて、この人に書かせたら凄いものができる、すぐに会いに行こうと、他社の編集者が思い、うちの編集者は何故ぼんやりしていたのかって、嘆いたことがあります。つねに逃した魚は大きいんですね。

そして、これはと思ったらすぐに手紙を書くなり、会いにいくなりフットワークが肝心です。躊躇しているうちに他社が手をつけてしまうかもしれない。この著者の長所はどこか、何をテーマに書いてもらったらいいのかは、経験と勘で分かるはずです。「こういうことがお書きになりたかったのではありませんか」、相手のほうも「実はそれを書きたかったんです」という話になればハッピー。必ず良い作品が出来上がる。ただ、最初から売りたいという気持ちで本をつくってはいけない。必ず失敗します。自分が感動したから、面白かったから、結果として売れる本になった、読者がたくさん読んでくれたというのが理想ですね。編集者は「才能ある人を発見する仕事」とよくいいますが、それは不遜な言い方で、「良き才能に出会う」のです。
山下 群さんの場合も、他の作家の方の場合も、同じ本で単行本もあるし文庫もありますが、どのような違いがあるのですか?
新井 そもそも小説なんかは、はじめに雑誌に掲載してから書籍にするケースが殆どです。雑誌が赤字でも、そこに連載したものが書籍になってベストセラーになったあかつきには、トータルでプラスになるという勘定です。文芸雑誌なんて、どこも赤字ですよ。だから、本にするため、賞を狙うためを目的とした集稿雑誌的傾向があります。300枚一挙掲載とかね。
『オール読物』という雑誌に関しては、オール読み切りの、短篇のあつまりという意味だった。そうしないと、お客さんが連載物の途中で買っても意味がないでしょ。編集部としては、本音をいえば、なるべく連載物を減らしたい。でも、書籍にするという目的があるから、3、4本は必ず後ろの方に載っける。雑誌を持たない書籍出版社は、どうしても雑誌がほしいんです。そこの連載物を、いずれは刈りとって本にする。それが、小説雑誌の役割になっちゃった。だから、そのせいで、小説雑誌自体の地盤が沈下してしまっているとも言えますけれど。
本の文庫化については、単行本にして、最低は3年待つという原則を最初は守っていました。でも、出版社間の競争が加熱してそれが崩れてきて、今は1年ぐらいで文庫化されますね。そうすると、いずれ安い文庫になるからといって、単行本が売れなくなる。1500円のものが、600円程度で買える。最初から文庫というものもないわけじゃないけれど、出版社としては二度美味しくないと、売り上げが立たないわけなんです。
- 2007年02月20日
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