映画書籍編集者 高崎俊夫インタビュー(7)

高崎

(牛田)花田清輝再発見ですか。

(高崎)そうですね。花田清輝には『映画的思考(1958年、未来社)』というエッセイ集がありますけど、花田の映画エッセイの魅力は、むしろ、その前の『アヴァンギャルド芸術(1954年,未来社)』や『大衆のエネルギー(1957年、大日本雄弁会講談社)』のほうにあるように思います。

(高崎)たとえば、チャップリンの『殺人狂時代(1947年)』を論じた「ファルスはどこへいったか」は、小林信彦さんの喜劇論や山口昌男さんの道化論に深い影響を与えたのは歴然としています。『近代の超克(1959年、未来社)』『恥部の思想(1965年、講談社)』に収められた映画エッセイも素晴らしい。たとえば「無邪気な絶望者たちへ」など、当時、絶賛された『灰とダイヤモンド(1958年、アンジェイ・ワイダ)』のパセティックなラストシーンと『勝手にしやがれ』の乾いたラストシーンを比較して、メロドラマを否定するゴダールを遥かに高く評価しているのは、まさに先駆的といえますね。「ファルスへのノスタルジア」も、ビリー・ワイルダーの『お熱いのがお好き(1959年、ビリー・ワイルダー)』を、彼が亡命前のドイツ時代に脚本を書いた『人間廃業(1931年、ロバート・シオドマク)』という映画と比較して、その退行ぶりを批判した卓抜なエッセイです。こうした、たんなる博覧強記ではない、ベンヤミンやブレヒトに匹敵する柔軟で豊かな批評精神こそ、花田清輝の真骨頂なんです。今、イデオロギーや旧弊な文壇意識、政治的文脈から解き放たれた眼差しで花田清輝を読むと、かつての澁澤龍彦さんや種村季弘さんのような優雅なエッセイストとして貌が浮かび上がってきます。実際に、このふたりの文学者は花田清輝の『復興期の精神』の圧倒的な影響下から出発していますからね。こんなことは、僕自身は、すでに常識だと思っていたんですが、講談社文芸文庫の花田の本もすべて絶版になってしまっていますから、すでに読まれる機会すら失われてしまっているわけです。花田のような脱領域的な批評家にとって、<映画>という総合芸術は、とてつもなく魅力的だったはずなんです。そのことを、今度、編集する『ものみな映画で終わる』で、十全に解き明かしてみたいと思っています。

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