日本近代文学研究家・平岡敏夫 「坊っちゃん」誕生100年記念インタビュー(4)
文学は夕暮れから始まる
山下 詩の話が出ましたが、先生は昔から詩を書いていらっしゃるのですか? 先生の文学の出発点について教えていただけますか?

平岡 昭和19年の4月、14歳になったばかりのとき、陸軍の学校に入りました。当時まだ陸海軍はしっかりしていましたから、20年の春までは教育もちゃんと受けて、それで戦争が終わったんですね。大日本帝国のために命を捧げたい、負けるはずがないと言っていたのが、一転して負けてしまった。すると今度は逆に学生運動です。朝鮮戦争が始まって、再軍備だということになるから、反対しないといけない。戦争体験があるから余計に強く、平和を守らなければいけないと思うわけです。そういう中で詩を書きはじめました。中野重治の詩にとても惹かれていましたね。文芸部なんかで書きためたものを、ガリ版で出したんです。
山下 その時の専門はすでに日本文学だったのですか?
平岡 そうです。でも実際は混沌としていて、あの頃は哲学も勉強していました。マルクス文献を随分たくさん読みました。昭和30年に共産党の第六回全国協議会、六全協というのが開かれて、そこで共産党は方針を切り替えるんです。その前はソ連に対して絶対に間違いを犯さないという信用があったんです。だから原爆実験をしても平和のために正しいと。アメリカがやったら資本主義のためで許せない、となる。偏見ですね。ちなみにソ連という言葉を私たちは使わなかった。ソ同盟と言っていました。ソ連と言うのは右翼なんです。そういう時代だったんです。知識人、学生は全部反米。一般の政治家とかは親米で反共。あの頃は二元構造ではっきりしていたんですね。つまり冷戦構造だったんです。文学の考え方もすごくそれに支配されていました。現実とどう戦うかという、現実と理想との二元構造。親米か反米かとか。今はソ連が崩壊してアメリカ一国みたいになってしまって、二元的な構造をとれない、それだけ文学で対等に立ち向かう現実がなくなってしまった。その頃から私は「夕暮れ」という問題に入っていったんです。「夕暮れ」というのは昼か夜かという二元論にあって、ボーダーラインということです。70年代くらいからでしょうか。芥川龍之介の研究からはじまりました。『羅生門』もある日の暮れ方からはじまる。夕暮れからはじまる文学って多いんですよね。そういうことからスタートして、つい1、2年前ですか、『〈夕暮れ〉の文学史』(2004年10月 おうふう)という本を出しました。
佐幕派の文学ということと、夕暮れの文学ということがどう結びつくのか東北大学でのシンポジウムで質問を受けたことがありました。陽が輝いている日向のものと時代の陰、まさに夕暮れは陰なんですよ。ここに、貧しさ、低い身分、報われない、そういう中に生きていく人間の美しい姿があるんです。
山下 文学は時代ときりはなせないものなんですね。
平岡 時代の陰という発想が『坊っちゃん』にも関わってくるわけです。だから、痛快で正義感があって、明るくて、というような表面的な読みだけでいいのかと最初に疑問に思ったのです。実際に読むと、清は死んでしまうではないか、と。そして坊っちゃんの来るのを墓で待っているじゃないか、と。作品はそこで終わっているから、永遠に待っていることになるわけですね。『坊っちゃん』100年の年に、そこに目が行かないまま終わってしまうような解釈が出てきたのは残念なことですね。
- 2007年01月29日
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