書家 石坂雅彦 インタビュー(2)
第二回 「現代の文人」というスタイル
書はとにかく書くことが一番大事なんですか。
石坂 書くことも大事だし、他にもいいものを見るとか、考え方とか。やっぱりただ漠然と字を書くだけじゃいい作品はできない。大袈裟にいうと自分なりの思想を持たないといけない。学生運動をやっていたとき、当時の若者なりの新しいことを一所懸命考えていた影響か、未だに新しさというものを求めています。二十代や三十代の頃、他の人は古代文字とかを知らないから、前衛書道じゃないのに「石坂は前衛だ」と言われました。でもね、私自身はそう言われて嬉しかったんですよ。世間の人は前衛書道というと変な字のこと思い浮かべるけど、前衛という言葉が好きなんですよ。前を衛る、ってことじゃないですか。古い文字を書くけどやることは最先端のことをやる、そういう意味では悪くないな、と。
先生が書いていらっしゃるような古代文字を書く人は少ないんですか。
石坂 最近はだいぶ増えましたが、以前は少なかったですね。それだけ厄介というか、漢字の知識も必要になってくるんですよ。文字の成り立ちや意味をしっかり理解しておかないと、古代人と同じにはならないでしょう。

書の内容というのも、やはり古代の詩ですか。
石坂 そうですね。古い詩の方が文字があるんですよ。例えば唐時代の「唐詩選」なんかから取ると新しくできた漢字が多くて、古代文字の方がずっと時代が古くて数が少ないから無い字がいっぱいあるんです。それこそ漢字の知識を余程持たないと古代文字に仕立て直せないんです。だから最初は中国の一番古い詩集といわれている「詩経」を書いていました。
漢字の知識というのは大学で教えてくれるものなんですか。
石坂 全然。最初は古代文字に憧れたけど、そんな大変なものとは思ってもみなかった。いざ西川寧に付いてみたら先生は文学博士の学者だったんですよね。この本を読んだ方がいい、というようなことをよく言われました。先生のお宅に伺って、字も習いましたけど、書の学問や根本を随分教わりました。
書はインスピレーションだけの世界ではないんですね。
石坂 インスピレーションも大事だけれどね、それだけではできない。中国に文人という人たちがいたんですが、彼らは教養がすごく高くて芸術も得意だった。彼らはそういった学識を基盤に作品を書くんです。そういうことも後から知って、じゃあ文人と同じように勉強していけばいいのかなと思ったんです。ただ文人とまったく同じやり方だと時代の違いで古臭くなるんで、基本的にああいう姿勢でやっていけばいいと思っているところです。
現代の文人というスタイルですね。
石坂 そうです。でも文人たちの学識は半端じゃないんですよ。唐時代からある何万人に一人合格という大変な高級官僚試験・科挙というのがあるでしょう。彼らはみんな科挙を目指して、合格して芸術方面を目指した人もいれば、挫折して芸術方面へ行った人もいる。どちらにせよそれまでがすごい勉強量なんですよ。それを考えると我々はそこまで勉強していないんだよね。でもせめて自分が関係するものは知識として蓄えていけば、少しでも近づけるんじゃないかな。それは書だけじゃなくて、それ以外の芸術分野も含めてね。そういうものを総合したところにセンスが出ると思います。
いろんなものを蓄えた先にセンスがあるということは、すなわちそうやって書いた書には人間が出るということですか。
石坂 よく書は人を表すというけど、結果として人が出ることは間違いないと思います。それがまた書の表現ということにもなるのでしょう。だから簡単に言ってしまえば、書なんて誰にでもできるんですよ。ただ導く人が正しく導いてくれるかどうかです。芸術というのは何でもそうだと思いますよ。
- 2006年09月25日
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