書家 石坂雅彦 インタビュー(1)

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第一回 古代文字との出会い


初めて古代文字に出会ったのはいつ頃ですか。

石坂 高校生の時です。横浜の翠嵐高校に通っていたんですが、毎年秋に全校生徒揃って日展を見に行ってたんです。高校生は日展にあまり興味ないから一、二年のときは入館時に出席だけ取ると、後は裏口から出て動物園に行きました(笑)。でも三年の時に工事の為に出れなくて、迷って書の会場に行っちゃったんです。そこに当時の書道界の巨匠、鈴木翠軒と西川寧の作品が並んでいた。鈴木翠軒は教科書を多く書いて有名だった人で名前は知っていたんだけれど字に魅力は感じなかった。隣の西川寧という作家は聞いたことがなかったけれど、ああいう古代文字が書かれていて、とても惹かれました。

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それまで習字を習ったりしてらっしゃったんですか。

石坂 小学四年から習っていたんですが、中学で美術部とバレー部に入って、そっちが忙しくなって辞めました。高校では柔道部に入って一年生でレギュラーになったりしたんですが、たまたま取っていた書道の先生に半ば強制的に書道部に入れられて。柔道の練習ができないから、って逃げようとしたら昼休みに来いって言われて、そこから昼休みは書道の練習、放課後は柔道という生活が始まった。でもそんなに真面目じゃなかったから、授業をサボって書道をしたりしてましたけど(笑)。

高校三年の時に初めて古代文字に出会ったということでしたが、それまで高校の書道部ではどんな字を書いていたんですか。

石坂 それまでは、みなさんが習字で書くような字です。古代文字があることすら知らなかった。だから書をやろうなんて意識も無論ないし、そんなに好きでもなかった。そこへ突然古代文字の書を見て、はじめは不思議でしょうがなかったんです。日が経つにつれ、どんどん気になってきて……大学は美術方面に行こうと漠然と思っていたんだけれど、西川寧が教育大の書専攻の教授だと知って、急遽進路変更をしたんです。案の定落ちましたけど(笑)。そこで近くの横浜国大にも書道があると聞いたので一応受けたら、そっちは受かった。一浪して教育大をもう一度受けようか迷ったんですが、西川寧がその年で定年退官するって聞いて、それじゃあ意味がないのでとりあえず横浜国大に入りました。そこで先輩を辿っていったら、西川寧の自宅に習いに行ってる人がいたんです。その人に口をきいてもらって、一年生の五月から自宅の方へ習いに行きました。


では、西川寧さんの下で学びながら、同時に大学でも書をやってらしたんですか。

石坂 いや、横浜国大の方は旧態依然とした書でしたから授業は全然魅力がなくて、ほとんど出ませんでした(笑)。幸運なことに、当時学生運動が盛んで、横浜国大が学園封鎖をした最初の学校だったんです。昭和42年かな。で、試験は全くなし、先生によっては面倒臭いから全員合格、ある先生は自宅にレポート提出、それで危なかった単位が全部取れました(笑)。


先生は学生運動に参加されてたんですか。

石坂 特に中核派とか組織に属していたわけではないのですが、やはり時代の流れでデモに行ったりしましたね。警官隊とやりあったりもして……あれは怖かったですよ(笑)。


学生運動に参加しつつも書道の勉強はずっと続けてらしたんですか。

石坂 ずっとやっていたけれど、デモに行った日は帰っても興奮してるから字なんか書けないんですよ。今、世の中にとって大事なことをやってきたんだ、だから今日は書の勉強をしなくてもそれはそれでいいんだ、と思ってました。でも学生時代は技術を身に付けたいから、出来るだけ多く書くようにしてました。

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