安西水丸 インタビュー(3)
――名前を「渡辺」から「安西」に変えたのはいつ頃ですか?
安西 それは三〇歳をすぎてからです。結局イラストレーターにはなかなかなれなかったんです。電通に4年半いて、それからニューヨークへ行ってアメリカ人のデザイン会社で仕事をしたりしたけど、やはりイラストレーターにはなれない。なれないのにガツガツしたってしょうがないから、この際依頼する側の仕事を半端じゃなくきちんとやっておこうと思ったんです。そしたら、ニューヨークから帰国した時にたまたま平凡社が新聞で募集していたんで試験を受けて入ったんです。
それで三二歳位の時ですか、嵐山光三郎という作家が当時「太陽」の編集部にいて、彼が僕に声を掛けてきて、自分は文章を書いてるんで一緒に仕事をしないかって。そこではじめてイラストレーターということになったんです。その時彼がペンネームにしろと言ったんです。嵐山光三郎というのは勿論ペンネームなんですが、自分が「あ」で始まるから君も「あ」で何か考えなさいって。そしたら祖母の実家が「安西」だったんで名字はそれにして、子供のころ最初に漢字を習った時から「水」という漢字が好きでずっとマークみたいにして使ってたんで「水丸」にしました。
僕は世界的に見ても平凡な形でイラストレーターになっていますね。日本は恵まれた国で、二〇代でなれたりするけれどすぐに消えてしまったりする。僕はグラフィックデザインもきちんと勉強したつもりだし、ニューヨークへ行ったのだって別に好きで行ったわけじゃない。二〇代のうちに何処か外国で暮しておこうと思ったんです。三〇過ぎちゃうとみっともない生活ができなくなるけど、二〇代だったら夏はTシャツにジーパンでいいし、冬はコーデュロイのズボンとPコートがあれば過ごせる。要するに若さの良さですよね。27歳の時に電通を辞めて、本当はフランスに行きたかったんだけど、英語しかわからないからニューヨークに行きました。
――その時代というと、六〇年安保の頃ですよね。その頃はヒッピーなど外国に行く若者が多かったと思うんですが。
安西 六〇年安保の後ですね。いずれにしても僕はあまりヒッピーみたいなのが好きじゃなくて、とにかくきちっとしていかったんです。会社にもいつもスーツで行ってました。東京でちゃんと仕事ができたので、ニューヨークでできないはずがないと思っていました。でも変な日本人はたくさんいましたよ。皿洗いしたり。僕はそういうことをするなら、すぐ帰ろうと思っていました。幸運にもすぐ仕事に就けましたけどね。アメリカ人が七人でやっている小さなデザインスタジオでした。とても良くしてもらって、毎日「君は天才だ」って言われました(笑)。社長も副社長もイタリー系の人で、クライアントもイタリー系が多くて、東京から来たと言うとみんなすごく興味を持ってくれました。
でも楽しくはなかったですね。刑務所に入ったつもりで、三年は我慢しようと思っていました。でもビザが上手くいかなくて、会社の人にも迷惑かける感じになってきたので二年で帰国しました。帰りは五ヶ月くらいかけてヨーロッパを旅したんですけど、段々日本に近づくにつれて不安になってきてね。ニューヨークを出てすぐは嬉しいんですよ。僕はニューヨークが好きじゃないから、これでやっとヨーロッパに行けるって、うれしかったですね。クイーンズボローで振り返って、朝靄の中に浮かぶニューヨークに向かって「二度と来るか!」って捨てゼリフを吐いたのを覚えてます。(笑)。
まだ電通にいた頃かな、神保町の古本屋に「文化地理大系(フランス篇)」という本が売っていて、その巻頭で画家の岡本太郎さんがエッセイを書いていたんですね。そこに大人になってパリに行って、飛行機の窓から眼下に広がるパリの街を見た時、青春の思い出が残酷なほど蘇へってきた、という一文があったんです。青春の残酷なほどの思い出、とはどういうことなんだろうとすごく気になって、それも若い頃に外国へ行こうと思った理由の一つですね。そんなことは実際にはあり得ないんですが、若かった頃の自分の時間が流れている、そんな場所が日本以外の国に欲しかったんです。僕はたまたまそれがニューヨークになったわけです。
――若かった頃の自分の時間が流れている場所、それは日芸ではないんですね?
安西 それは全くないです。むしろ忘れたい(笑)。
――日芸で学んだことで役に立ったことはありますか?
安西 全くありませんね。(笑)
――厳しいご意見!
安西 ただ4年間芸術学部の雰囲気の中にいたということだけは良かったと思います。いろんな学科があって、それぞれに特色があって、何か不思議な雰囲気があって、それは良かったですね。それに「日本大学芸術学部美術学科」という字面の美しさが気に入っていましたね。いつかプロフィールを書く時に多摩なんていう字は書きたくないし、武蔵野も田舎臭くて嫌だし。だから自分の名前を書いた後に日本大学芸術学部美術学科と書く、こんな美しい字があるのか、ってね。これに関しては美術学科が一番美しいと思いますよ。富士山をバックに桜が舞っているような感じで、この字は捨てがたいと思いました。文字はビジュアルですからね。
- 2006年09月28日
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