落語家 三遊亭白鳥 インタビュー(3)

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――学生時代の白鳥さん自身についてもっと教えてください。やはり、「変な奴」だったんですか?

白鳥 そうだね、僕は「変な奴」の最たるものだったんじゃないかな。空手部に無理やり入れられてしまったから、そこで抑えつけられていたぶん、学科の方で爆発してしまった。雨戸盗んできて、廊下で流しそうめんやったり、壁に絵を描いたり、構内で焚き火したりね。田舎者だったから、とにかく変わったことをしたくてね。今、当時の俺を嫌っていた女の子たちが落語聞きに来てくれるんだけど、その頃は近づきたくなかったんだって。単なる異常者だったから。この世界にいて今も「変わっているね」といわれるんだけど、大学時代を知っている奴らはみんな、「まじめになったよね」って言うよ。

――結局、白鳥さんが一番変なんですよね・・・ お話を聞いていると白鳥さんは日芸時代から人を笑わせたり、楽しませたりすることが好きなようですが、やはり日芸時代から落語家という職業を目指されていたのですか?



白鳥 いや、はじめは小説家になりたかったよ。バカだったから、お姉さんたちにモテて、銀座に行って・・って夢のような世界を想像していたわけよ。ちなみに当時の文芸学科では就職ガイダンスもやってなかったし、僕自身、就職する気もなかった。でももう卒業だし、田舎には帰りたくない。当時は貧乏だし、女の子にモテない、空手部からも逃げている、ドン底の状態だった。こんな時、椎名町の本屋さんで、『貧乏自慢』っていう古今亭志ん生師匠の本を見つけたんですよ。それで、貧乏でもできる、貧乏でも楽しい、という落語の世界を知ったわけです。大学生のときは、寄席に行ったこともなかったんだけど、三月の終わりごろから興味を持って、池袋の寄席にも行きました。でも、それが面白くなかったんですよ。これじゃあ、俺のほうが売れるんじゃないか、って考えてしまった。じゃあ、誰に弟子入りしようかなというときに、うちの円丈師匠が、花王名人劇場で新作落語をやっているのを見て、偶然に入ったんですよ。



――円丈師匠から最も学んだことはなんですか?


白鳥 まずは、創り続けるということ。僕、噺家になって最初は全然寄席に出れなかったんですよ。色々なところに出られるようになったのは、真打になってからで、その鬱屈した十年間が、今いいネタになっています。それと、ウケてなんぼということだね。落語っていうのは、人情話は比較的作りやすいけれど、不特定多数のお客さんの前で笑わせるというのは難しい。そういう意味では、大学時代から人を笑わせていたから良かったね。日芸自体が、変わり者選手権みたいだったね。(笑)でもずっと変わり者だったら、それで終わってしまう。

 

――日芸時代のネタを、落語で披露されることはありますか?


白鳥 空手部の話しは時々やるよ。一番初めに作った創作は、空手部の辛かった話。お客さんには全然受けなかったけどね。


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