落語家 三遊亭白鳥 インタビュー(2)

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――白鳥さんの落語、とてもおもしろかったです。後ろの方で手を叩いて笑ってたんですけど見えてましたか?

白鳥 僕、近眼で客席見えないんだよ。(笑)

――そうなんですか・・・・ ところで、落語で出身地の新潟のことをよく話題にされていましたね。白鳥さんは新潟から、わざわざ芸術学部というわけのわからないところに、なぜいらっしゃったんですか。

白鳥 僕の出た高田高校は、新潟でも三番目の進学校だったんです。高田高校から日芸に入ったのは、俺が初めてかな。みんな早慶だとか国立系に行ってます。高田高校というところは、現役で四人ぐらい東大に入る高校で、とにかく高田高校に入らないと東京に行けないんですよ。ちなみに僕の兄貴はめちゃくちゃ出来がよかったけれど、僕は出来が悪かったんです。でも、とにかく東京に出たかった。当時は、TVのプロデューサーに憧れていてね。芸能人と結婚したい、っていうよこしまな想いもあって・・・。その中で、一番偏差値のレベルが低くて、TV関係に強いのが、日芸の放送学科だった。それで、放送を受けたんだけれど落ちて、なぜか文芸に入った。それでも倍率は、三六倍ぐらいだったかな。

――「日芸寄席」に白鳥さんが出演されていましたけど、日芸にたまにはいらっしゃるんですか?



白鳥 日芸を卒業してはじめて、「日芸寄席」のために十八年ぶりに近づきました。実は今も日芸の近くに住んでいるんだけれどね。近付きたくはなかったね、日芸には。日芸時代に入っていた空手部が嫌でね、避けてました。(笑)僕のときの空手部はとにかくハードで、夏合宿で前歯全部折られたりしてたんですよ。あのときのことを思い出すと、ホント、近付きたくなかった。



――空手部などの体育会系がかなりの力を持っていた時代だったんですか?



白鳥 昔ほどではなかったと思うけれど、僕の入った空手部はすごかったね。落語家に弟子入りして、本当に辛かったこともあったけど、空手部のことを考えたらたいしたことないよ。空手部に入っていたから、忍耐強くなって、師匠に付いていけたんだと思う。

 大学二年の空手部の夏合宿のとき、あんまり嫌で、とうとう逃げちゃった。「僕は旅に出ます。マグロ漁船にのります」ってハガキを出してね。でも、それに石神井の消印がついていたもんだから、先輩が俺を探しまわってね。新学期が始まってから、運動部全体に「藤田を見つけたら連れてこい」ってお達しが回っちゃってさ。だから僕は、覆面かぶって、裏口から登校していたんですよ!(笑)



――覆面かぶって・・・! そうとう怪しいですね。でも、もともと日芸には変な学生が当時から多いと聞きますが。白鳥さんがいた頃の学生はどんな人がいましたか?


白鳥 いつもくまのぬいぐるみ抱えてる女の子とか、うーん、やっぱり変な人は多かったな。印象深い人は、秋田出身のヤマヤ君。僕の田舎では聞いたことのないようなジャズだとか、難しい本、映画をいろいろ教えてくれた。あと、酒飲みで恥ずかしがりやで太宰とか日本文学に詳しいニイツ君。僕が大学5年のとき、飲みすぎで死んでしまったけどね。日芸時代は、授業よりも学生たちとの出会いのほうが大きかったな。授業なんて、何やったか全然記憶にない。あと、サークルなんかの部屋に集まって、先輩たちと好きな女の子の話なんかして楽しかった。僕、タロット占いが出来たんで、女の子たちに1回100円で占ってやったりしてたよ。

 それから、面識はないんだけど、後輩に吉本ばななさんがいた。彼女、同人誌を出したかったらしくて、僕がかけ持っていた童話研究会に入りたがっていたんですよ。でも、あそこには変な奴がいるから入んない方がいいよ、って入れ知恵されたらしくてね。その変な奴って俺のことだったんだけど。(笑)ちなみに童話研究会は、文学に対してすごく熱くて、学生の間でも文学論議が白熱していましたね。議論の果てに、泣き出しちゃう女の先輩もいた。


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