作家 中沢けい インタビュー(3)

山下: 大学一年でデビューされて、まだ弟さんは高校に在学していらっしゃいますもんね。それにしても、中沢先生の作品からは、70年代から80年代へかけての、リアルな、独特の時代感覚を感じます。先生の歩んできた〈時代〉についてお聞きしたいです。
中沢: 私がデビューしたのは、かぐや姫の「神田川」が流行ったちょっと後ですね。ちなみに小学校から中学校にかけて、隣町の学区へバス通学していたので、バスを待つ間に、駅前の本屋で『サザエさん』全巻を立ち読みしてました。『同棲時代』なんてマンガも流行っていたんだけど、それを立ち読みするのはちょっと具合が悪かった・・・(笑)
80年代になっても、83年頃まではまだ古い日本が比較的残っていたんだけれど、85年くらいから急激にバブルになっていくんですよね。私が大学出た頃の83年あたりは、女子学生土砂降りっていって、まだ男女雇用機会均等法もなく、さらに構造不況で、4年生大学卒の女子学生はどこにも行けない年だった。経済を構造転換させるために、政策的にバブルへ誘導したんですね。結果的に失敗して、その後、長い間不良債権を処理しながら、本当の意味での転換を図ってきた。ようやくこの1、2年に株価が回復してきたのね。1985年~2005年の苦闘は大変だったんです、日本は。
牛田: まさに中沢先生が作家として歩んできた時代ですね。
中沢: とにかくバブルへと移行していった85年、この時期はいろいろなものの境の時期でもあったんですよね。まずは、映像。「北の国から」っていうドラマがあったけれど、途中で、フィルムからビデオ、そしてデジタルへとかわっていく技術革新があるんですよね。明らかに映像が違う。町や人の、表情が違ってくる。純と蛍の小さい頃の映像を見ると、昔の日本の映像の感じが残っていますが、85年、世界が円高を容認した頃を境に、映像のコントラストが変わっていくんですよ。私は映像の、光と影を見ます。同じクール、同じ役者さんで撮り続けた映像でも、光と影の感覚がものすごく変わってくるんです。映像機材の変化もあるんだけれども、それだけじゃない。デジタルだと、影に深みがないんですよね。影が前に出てきて自己主張してしまう感じ。みんな、機材の問題だと思っているけれど、道具っていうのは面白いもので、作る人が撮りたいと思うように作っていく部分があるんですよね。
牛田: 私は映像専攻なんですが、そういうの、すごくわかります。
中沢: 文章でもこういう変化はあるんですよ。85年くらいを境に、あらゆる芸術ジャンルの批評の衰弱がはじまったと思います。批評言語の衰弱です。経済構造と芸術の言語がまったく別のものだと考える人もいるけれど、私はそうは思わない。批評言語が何を機軸にするか、という考えからいくと、経済に負うところが大きいんではないんでしょうか。何を美しいかと感じるかは、どうやってお金を稼いでいる人がいるか、ということと深く繋がっているんですよね。例えば、日本の美意識の発見者といえば、利休と柳宗悦。柳宗悦が、民芸の器は美しいと言うけれども、それは労働を美しいと考える労働感があって、単なる賃労働や下働きなどではなく、大事な社会の一員なのだ、という思想があってはじめて、美意識と繋がってくる。85年の経済構造の転換から批評が壊滅していくのは、必ずしも批評家たちが無能だったからではないんですよね。批評軸が壊滅しちゃってるということと関係があるんじゃないでしょうか。最近では格差社会と言われていますが、実を言うと、文学や芸術は、格差があった方がいいものができるんですよね。
牛田: 格差を埋めようとするエネルギーで出て来るものがありますよね。
中沢: そう、上の者はより格調の高いものを目指してセンスを磨くというのもあるし、埋めるんではなくて、上と下が違う価値観で競い合う、という場合もある。
どっちが主流になるかは、その時代の政治制度で何を主役にするのか、というところですね。
- 2006年07月03日
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