映画評論家 波多野哲朗インタビュー第一部 (1)

第一部
牛田: 昔のような「映画評論家」が現在いないことについてどう思いますか。
波多野: 真に私たちを魅了するような映画評論を書く人がいなくなったという意味ですね? おそらくその背景には、批評精神自体が衰弱して、映画評論というものが一体何なのか、何を書くべきなのかが次第に分からなくなってきているという状況があるのでしょう。ここで映画評論と呼ばれているものの歴史をちょっと辿ってみたいと思います。
映画評論あるいは映画批評と呼ばれるものは、日本では大衆消費社会が出現する大正時代の後半から昭和のはじめにかけてはじめてジャンルとして確立するのですが、ごく普通の大勢の人たちがそれを読むようになったのは、映画が大衆娯楽の中心的存在となり、言論が自由になって大衆誌が巷に氾濫するようになった戦後期のことです。とくに1950年代の中頃から映画に対する知的な批評活動が活発になりますが、おかしなことに映画批評の最盛期というのは、日本の映画産業が1958年の最盛期を過ぎて、衰退の一途をたどるその後の20年間だったんです。1960年代の終りから70年にかけて、長文の本格的評論を掲載する映画雑誌がつぎつぎ登場するようになります。
1970年代のはじめ、私は小川徹、飯島哲夫、山根貞男らとともに、戦後の25年間に書かれた映画論を編纂して『現代日本映画論大系(全六冊)』(冬樹社、1970年~1972年)を刊行しました。
そのとき私は毎日図書館にこもって、戦後25年間の映画論をかたっぱしから読みあさりました。そしてその経験が、映画そのものの歴史のだけでなく、映画の見られ方、受け取られ方の歴史というものの存在に私の眼を開かせることになったのでした。映画批評の歴史、それはまさに映画への眼差しの歴史です。
- 2006年06月30日
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