映画評論家 波多野哲朗インタビュー第一部 (9)

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では、この雑誌に何の特色もなかったかというと、けっしてそうではありません。その第一の特色は、映画そのものに徹底して固執しようとする態度でした。私たちは映画に対して先験的な思想や観念やイデオロギーについて語るのではなく、映画そのものについて語ることに極めて意識的でした。当時、山根は「映画のおもしろさに、とことんこだわる」と編集後記に書いていますが、まさに私たちはみずからの映画体験に忠実であろうとして、そこからのみ言葉を紡ぎ出そうとしていたのでした。
第二は、映画について語ることとは何か、映画批評とは何かという問いをつねに持ちつづけていたことです。ここには、従来の映画批評そのものに対する批判があったことは言うまでもありません。でも、こうした話は解りにくいでしょうね。もっと話を具体的にしましょう。たとえば私たちは創刊号ではレネを特集し、2号では鈴木清順を特集、そして3号目ではゴダールを特集しました。つまり、私たちはレネと清順とゴダールという世間ではまったく別種ものと見なされている映画を、同じ言葉で論じる映画批評の実現をこそ求めていたのでした。cinema4.jpg 同様に大島渚とマキノ雅弘の映画を同じ言葉によって論じようとしていたのでした。それまでの映画批評、つまり解釈学的な深読み中心の映画批評では、その結論は必然的に映画の背後にある思想や現実問題に還元されることになり、その限りでは、鈴木清順とゴダールとマキノの映画は、完全に別種の存在として位置づけられるほかはなかったのでした。私たちは、もっと映画そのものに留まることを考えていたのでした。
3番目に登場した松田政男を中心とする『映画批評』についてもちょっと触れておきましょう。この雑誌は、60年代末から70年にかけての反権力運動、反体制運動に共鳴する映画批評を目指した雑誌と言えるでしょう。より具体的に言えば、当時盛り上がっていた全共闘運動を中心とする新左翼イデオロギーの視角から映画を見直す作業であったと思います。とは言っても、彼らはたんに政治的な映画を扱っていたのではなく、映画を彼らの政治的観点から見直すということであって、いわゆる古典的なイデオロギー批評ではありませんでした。ここにも、従来の映画批評に対する批判が見られるからです。この雑誌も『シネマ』同様、30枚以下の批評は掲載しませんでした。しかし彼らは『シネマ』に対して、「いまどき何をのんびりと作家特集などやっているんだ」とつねに批判的でした。その意味でこの雑誌が、もっとも「70年的」だったんでしょうね。しかし、この3誌はともども、1973年ごろまでにみんな姿を消してしまいます。『ぴあ』の時代、情報誌の時代の到来です。

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