映画評論家 波多野哲朗インタビュー第二部 (8)

波多野: 『噂の真相』に載ってた?(笑) なにか、あそこにしかない空気が漂っていたんです。 マイナーであることの自信に満ち満ちていたというか、そういう若者がいっぱいいてね。しゃべっているうちに友だちになったりした。あの迷路性が大事なんじゃないかなあ。新宿は地方から出てきた移住者にも開かれた街だった。それが田舎者のぼくの肌に合った。銀座は、東京人の街、エリート・サラリーマンの街。浅草は、江戸風情の街。その点、新宿は、東京に出てきた翌日から、気楽に入り込める町だった。もっとも今は、アジアの人たちに開かれた街になっているらしいが・・・
牛田: 今だと、仲間同士でつどって飲みに行くんですが。当時は、ひとりでも、誰かに会うために新宿に飲みに行った、というのがよくわからないのですが。
波多野: 喧嘩もあったけど、仲良くなった奴も多くてね。いろんなものが混じり合っていて、何が起こるか分らないようなところ、それが面白かったんだろうと思う。なんとなくスリリングで。
年老いた今でも、ぼくはときどきそういうスリルを求めて旅に出ます。1998年にオートバイでユーラシア大陸を横断したのも、その一つでした。1万6000キロを2ヶ月かけてオートバイで走りました。アジアとヨーロッパとが、地続きであること、つまり溶け合っていることを実感として確かめたかったからなんです。アジアの風景が少しずつ変わっていき、いつのまにかヨーロッパになる。むろんその間には国境というものがいくつもあって、国家が仕切りを作っているんですが、それはあくまで人工的な境界線。実際に走ってみると、いろんなものが連続している。中国の水餃子は、ロシアに入るとお汁が減って「ペリミニ」ってものに変わるけど、味はとても似ている。道路で売っている焼肉が、羊肉から豚肉へと少しずつ変わっていく。アジアの文化がとぎれることなく変化しながらヨーロッパになっていく。中間では二つが混合し、融け合っているのです。日本から飛行機でヨーロッパに行くと、いきなりヨーロッパで、二つはまったくの別の世界です。しかし陸路だと、無限の中間項が発見できるのです。
そのような体験が、どこか映画の体験に似ているように思えるのです。
- 2006年06月30日
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