映画評論家 波多野哲朗インタビュー第二部 (7)

牛田: 新宿文化劇場の観客論について研究していたのですが、映画評論家の方は映画を試写でみているので、映画館でみて論じている人が、私が調べた限り、田中小実昌さんと川本三郎さんくらいしかいませんでした。後世、私が参照したとき、その2人を除いて映画評論家の言っている「映画館」という場所はほとんど書かれていませんでした。映画館に行く、という大切さというものが、先生が大学で教えていらっしゃる都市論と、繋がると感じるんですが。
波多野: 都市はアノニマス(匿名的)な空間です。互いに素性を知らない人たちが集まる場所、それが都市の盛り場です。だから盛り場の映画館で映画を観るのと、配給会社の試写室で評論家として映画を見るのとでは、大きな違いがあります。映画館こそは、鑑賞体験のヒエラルキーともっとも無縁な場であると思います。 「映画の正しい見方」などというものはありません。そもそも映画には規範らしきものがないのですから。例えば、規範を持つ言語には間違ったつなぎというものがありますね。「明日、学校に行きました」「きのう、学校に行くでしょう」といった文章はだれにとっても間違いです。しかし映画には、そういう意味での間違いというものは存在しない。ほとんどの人がさっぱり理解できない画面と画面のつなぎはあるかも知れないが、それは解りにくいだけであって間違いではない。映画とは究極的に、「読み」によってしか成立しないところがあります。
牛田: 都市を歩くことと、映画評論との関わりについてうかがいたいんですが。
波多野: モンタージュという言葉をまつまでもなく、映画はそれ自体典型的な編集の産物です。そしてこの「編集」という概念こそが、都市的文化と深く結びついているのです。文化や芸術の中に編集物が大きな位置を占めるようになったのは1920年代のことでした。コラージュやフォト・モンタージュやアッサンブラージュといった手法はもちろんのこと、雑誌などの編集物が数多く刊行されるようになったがこの時代です。そしてこの時代は同時に、世界的に都市化が著しく進行して、つぎつぎと大都市が形成された時代でもありました。20世紀に形成された大都市は、一つの共同体が同心円的に拡大して形成れた都市ではなく、多数の共同体からの移民・移住者によって形成された都市です。したがって都市の文化は、いくつかの文化の異種混合によって成り立つ多中心的な性格を持つことになります。「編集」という概念は、まさにそうした土壌の上にこそ成立したのでした。ダダや構成主義といったこの時代の都市的芸術が、「編集」と深い関係にあることは言うまでもありませんが、なかでも映画のモンタージュがその典型でした。ベルリン市街を描いたヴァルター・ルットマンの『伯林大都会交響楽』、モスクワ市街を描いたジガ・ヴェルトフの『カメラを持った男』などの映画は、まさに映画と都市との抜き差しならない関係を示しています。
- 2006年06月30日
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