映画評論家 波多野哲朗インタビュー第二部 (3)

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牛田: 時代的には、小川紳介さんの頃と重なるんですか?
波多野: 小川紳介は1996年に『青年の海』を作り、67年の『圧殺の森』『現認報告書』で注目を集めます。小川のスタートのほうがはるかに前です。ときは新左翼運動の最盛期で、小川の映画はその中で一挙に注目を集めはじめたのでした。私は当初、小川という人はもっぱら新左翼運動の政治的イデオロギーに沿った映画を作る人だと思っていました。しかし彼が三里塚に入って作りはじめた一連の三里塚闘争のドキュメンタリーをよくよく見ると、どうもそうではないと感じはじめたのでした。彼は三里塚に住む農民たちの生活に流れている豊かな時間の流れを描こうとしているのであり、闘争はその一局面だったのではないか、と思へたのです。以来、私は小川プロダクションの仕事に深い関心を持つようになって、何本もの作品論や作家論を雑誌に書きました。やがて小川紳介は新左翼運動の渦中にいた人たちからも、かなり批判的に見られるようになりました。「小川の奴は日和って、三里塚の激しい闘争をすこしも撮らずに、年寄りばかり撮っている」と。
牛田: 先生は三里塚へは?
波多野: 行ったことはありますが、反対運動には直接参加してはいません。三里塚との関わりは、あくまで小川の三里塚映画を介してのことです。映画の上映運動には応援に出かけたことがあります。話は変わりますが、私はある本に「三里塚のお婆さんたちは、みんな美しい」と書いたことがあります。いわゆる美人だという意味ではないんです。実際、直接彼女たちに会ったときも、別に美しいとは思わなかった。ところが、小川の映画に出てくると、何故かみんな美しいのです。ドキュメンタリーはつねに対象を忠実に描こうとしているけれども、言うまでもなくそこに描かれているのは対象それ自体ではなく、対象に対する眼差しでもあるのです。三里塚の人びとに向ける小川の眼差しは、愛に充ちていました。小川プロダクションってのははじめのうちは何十人もいたんですが、新左翼に批判されてから学生たちはどんどん出て行ってしまいます。それで、三里塚の農民たちと野良仕事も一緒にやるような人たちが10人くらい残ったんですね。

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