映画評論家 波多野哲朗インタビュー第一部 (3)

hatano_special.jpg

牛田: 映画雑誌でない『思想の科学』や『新日本文学』などから気鋭の映画評論が出てきますよね。
eigariron.JPG 波多野: いずれも映画業界や映画論壇とは無縁な知識人たちでした。『思想の科学』の鶴見俊輔は、映画に対する啓蒙主義的な態度やイデオロギッシュな批判に背を向け、映画に対する自由で多様な読みを主張しました。一方『新日本文学』には、日本共産党の硬直した文化政策に批判的な文学者が集って、思想や芸術の自由や前衛性について論じはじめます。とくに映画はその重要なエレメントでした。そして1960年代になると、日本映画そのものに新しい兆しが現われます。「日本のヌーヴェル・ヴァーグ」などと呼ばれる映画の新しいムーヴメントですね。大島渚や吉田喜重といった新しいタイプの監督が登場します。こうした監督たちはみずからも批評家と同じように、いやそれ以上に映画について雄弁に語りました。批評の側からそれを支えたのが小川徹の編集する『映画芸術』という雑誌でした。60年代の『映画芸術』という雑誌は、じつに華やかな映画雑誌でした。この雑誌では、大島や吉田のほか、篠田正浩、増村保造、松本俊夫といった映画監督たちが筆を執り、一方、花田清輝、吉本隆明、安部公房、清岡卓行、佐々木基一といった錚々たる文学者たちが競って映画を論じていました。この論者たちは既成の映画論壇、たとえば『キネマ旬報』にずっと名を連ねてきた印象批評の映画評論家たちとはかなり違った書き手たちでした。映画評論は、ここで知的な百家争鳴の時代を迎えることになったのです。

トラックバック

トラックバックURL:

コメント

コメントする

(文化会議 にはじめてコメントされる場合、不適切なコメントを防止するため、掲載前に管理者が内容を確認しています。適切なコメントと判断した場合コメントは直ちに表示されますので、再度コメントを投稿する必要はありません。)

comment form