映画評論家 波多野哲朗インタビュー第二部 (1)

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第二部

牛田: 70年に歩行者天国が始まって、70年代前半に『深夜特急』の沢木耕太郎さんが、確か新宿から外の世界へ旅立ちました。60年代前半、小田実さんは自分たちのお金では行けなかったと思うんです、その時代は。でも70年代前半の時点で、友達のお金をかき集めてバス旅行に行く。小田さんが60年代前半で、沢木さんが70年代前半。その10年間に、日本が豊かになってきて、沢木さんみたいに若い人でもお金を集めて日本から外の世界へ出て行く。波多野先生の時には行けなかったのですか。


波多野: よほど経済的に恵まれていないかぎり、自分のお金ではとても行けなかった。
牛田: 新宿のヒッピーなんかはかなりの数が新宿から外国へ出て行ったんですが、新宿に集まっていけば新しいことが見つかると思っていた若者が、ここには「ない」と思ったときに、やはり「外国」にということで出て行ったんでしょうか。


波多野: ヒッピーたちにはサブカルチャーを共有する感覚が基本にあるわけです。だから彼らは旅行の場合ももっぱらサブカルチャー的世界を歩いたのでしょう。好んでマージナルな社会に出向いて、その底辺に近いところを、リュックひとつで放浪する。だから、新宿にいるときと心理的にはそんなに変わらなかったんじゃないでしょうか。

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