作家 群ようこ インタビュー(6)
――エッセイストが振り返る日芸時代ー―
山下 本の雑誌社と言えば、やはりエッセイで読んだんですが、はじめて書店から取引をしたいという電話がきたときのこと、いまだに書店名と担当者の名前と注文してくれた部数を覚えている、という記述に、なんかじーんときちゃいました。
群 そうそう最初は注文来なくて電話こわれたんじゃないかと思ったのよ。ぜんぜん鳴らないから。だから天気予報とか聞いて、あ、つながってるって確認してた。初任給3万円でしたね。そのうち、図書券がもらえるからっていうんで「本の雑誌」に簡単なエッセイを書き始めて、それを見た出版社から依頼がくるようになって、気付いたら原稿料はお給料の三倍になってました。でも私は、勤めはやめたくなかった。父親がフリーで仕事をしていたのでその不安定さは知っていたんです。それでも迷ったのは三十を目前にしたとき。会社で実際にまかされていたのは事務の経理みたいなもので、編集の仕事をしたいっていうのもあったし、書く仕事もしていたので、将来どうしようかなって考えました。
山下 そこらへんの事情については『別人「群ようこ」ができるまで』に詳しく出てますよね。あの本に、仕事をするうえでのいろいろつらい体験も書かれていますが、エッセイにすると笑えるんですよね。あれは何でしょう。
群 あのときはつらかったんですけどね。
山下 なぜ群さんの書くものは、つらいのはわかるのに笑えるんでしょうか。
群 私、深刻な人間じゃないからね。
山下 それから私がびっくりしたのは、『別人「群ようこ」のできるまで』のあとがきに新井信氏(元文藝春秋編集者・現日本大学芸術学部文芸学科講師)の名が出てたことです。あ、新井先生だ、って。めぐりめぐって日芸内に群さんの育ての親がいらっしゃったんですね。
群 そうそう、新井さんは私の恩人。足向けては寝られないですよ。将来どうしようか真剣に悩んでたとき、はじめて人に相談したのが新井さんです。私が書く仕事だけでやっていけるのか、自分ではわからないんですよ。新井さんに「はっきり教えてください」って聞きました。そしたら、あなたなら大丈夫だから会社を辞めなさいって言ってもらえたんです。本の雑誌社に勤めてるときから、海のものになるか、山のものになるかわからない私をずーっと待ってくださったんですよ。あ、この前、新井さんからメールがあって、「あなたの写真が日芸の文芸棟にかざってありましたよ、げー」って書いてあった。「その、げーっ、て何ですか」と返事書きましたけど。
- 2006年04月20日
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