作家 群ようこ インタビュー(5)

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mure3.jpg――エッセイストが振り返る日芸時代ー―


山下 芸祭は今も昔も日芸の魅力を世間に解放する場ですよね。ところで日芸の魅力って何でしょう?


 日芸はほんとにいろんな人がいました。ゼミ合宿で行った塩原温泉の宿泊所で、私、レズの女の子に言い寄られて、やっぱり衝撃だったわよ。そういう人がいるってのは知ってたけど、まさか同じクラスで友達づきあいしてた人がそうだったっていうのが。私は男の子に混ざっちゃうような風貌で、スカートもはいたことないし、化粧もしたこともなかった。だから仲間と思われたのかな。それから、あの頃は、いわゆる知的未発達障害のような人も実技で受かって入って来てて、ピアノがすごくうまいの! とにかく私たちのときはだらだらしてても許される雰囲気がありましたし、日芸来たら人生決まった、みたいのがあったわね。のんびり人生、みたいなね。本当に就職したいと思うなら、別の学校の方がいいわね。だって芸術学部とか芸術生活と就職というものを結びつけるっていうのがそもそもの間違いよね。だって実生活に役にたたないもの、芸術は。


 それから、日芸は見た目も含めて変態でしたよ。でも話してみると、みんな気のいい人なの。だから、大好きでした。日芸に何を教えてもらったかっていうことより、人との出会いが良かった。その分、社会に出たとき、なんて窮屈なんだろうって思いましたね。日芸って、どんな格好をしてても何も言われないの。着るものがなくてずっと学生服の人もいたし、でも全然平気なの。それが世の中に出ると、あの人あんな格好して何なの? とか人の外見をネチネチ言う人が多いんです。嫌でしたね。世の中ってなんて生きづらいんだろうって思いました。見かけで判断したり、規範からずれていることをいろいろ言うんですよね。

山下 そういえば群さんは、学生中から数々のアルバイトをこなしたようですね。


 学生時代はほとんどアルバイトばっかりしてました。二十歳のときに両親が離婚をしたんで。一時大学から姿消したんですよ。学費払わなきゃならなかったからアルバイトしてたんです。ほとんど単位ぎりぎりまで休んで危なくなると大学に行ってた。


山下 群さんはやはり「働く女」ですね。


 でも、就職にも興味なかったんで大学院に行こうかなとも考えたこともあったけど、あの頃は、大学院になると急にまじめになっちゃうんですよね。


山下 日芸なのに?


 一般的な大学の文学研究みたいになって。日芸のキャンパスで知ったおかしな人たちじゃなくなるのよね。おちゃらけたものが入る隙間がなくなるのよ。まあ、おちゃらけた人は大学院に行かないんでしょうけどね。


山下 今は行きますよ。最近では創作で修士論文を書けるようになりましたし。
 でも群さんは大学院に行かないで、就職されましたよね? エッセイで読みましたが、広告代理店、大変だったようですね。


 初任給10万円だったわね。大変だった。カタログのね、「ダイレクドドライブ」の「ト」の字の点々を消せって言われて、何万枚と、こりこりこりこり溝ノ口のパイオニア工場に消しにいったわよ。こりこりこりこリ、カッターの歯で削るんですよ。それをやらされて、パイオニアの人に、わ、まだやってる! ってびっくりされるくらいずっとやってたの。私はその代理店、体がもたなくて半年でやめました。本の雑誌社に入ったのが24才のときで、それまでは、hばたばたいろんな会社で働いてました。

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