日野日出志ロングインタビュー(7)

栗原 『わたしの赤ちゃん』は、典型的なホラー作品ではあるんですが、僕はあの作品を、ホラーという観点では、まったく読まなかったんですよ。逆に、すごいリアリティといいますか。ありえないことではない。特にあの作品には、以前先生がおっしゃった、「叙情」作品の、破片のようなものが、顕著に垣間見れた気がしたんですが
日野 『わたしの赤ちゃん』では、叙情という部分は、もしかすると意識していなかっ
たかもしれないな。ただ、「怪奇」とか「叙情」って、出発点では、常に自分のなかにあったんで、当然のものとして、もう、それすらも意識してないんだよね。それでもうスタンプを貼られているし。ただ、『蔵六』だとか、それ以前にガロで描いていたころは、アイディアノートの一番先に、「怪奇」、「叙情」・・って単語書いて、毎日見ながら、自分の頭に叩き込んでいたけれど。それからは、既に消化して、自分の世界になったんで、格別意識はしていない。
栗原 (そうなるまで、どの程度の時間はかかりました?)
日野 多分、『蔵六』を描くことで。
栗原 自分に認められた?
日野 うん。自分の才能の限界だとか、そういうものを含めて、全部あそこにある気が
する。あれが雑誌に採用された時点で、自分のなかでの迷いは全部吹っ切れた。アイディアは沢山あったから。2本目は、『地獄の子守唄』って決めていた。『蔵六』は民話的世界だから、逆をいこう、と。いまの自分の時代の、リアリティある怖さを表現しようと。
で、どうやってリアリティをもたせるの、ってはなしなんだけど。大体、ホラーっていうのは、日常生活のなかに、善男善女がいて、それに対して、何かしら非日常的なことが起きるわけですよ。相手は、モンスターであったり、ゴーストだったり。何らかの現象、赤ん坊、病気であったり。観客は、主人公の目線で出
来事を同時体験し、恐怖を一緒に感じて、映画なりを見終わる。だいたいハッピーエンドなんだけれど。映画館を出たら、日常に戻る。みんな約束事の上で、見ているでしょ?そうはいかないぞ、と。だから、安心してみている読者を、自分の漫画のなかにひっぱりこめないものか、と考えた。そこで、告白形式にした。「私は日野日出志。こんな子供の頃で・・」って。子供の読者は、本当のことをそのまま描いていると思い込んじゃうわけ。嘘八百なんだけど。
栗原 近い部分もある?
日野 あるけどね。トンボの羽むしったりしたのは事実だし。それを怪奇的に膨らまし
、ディフォルメして描いているわけだけど。まず読者に、この作者は、自分の本当のことをしゃべっているんだな、という意識を植え付けた。
栗原 日野先生という方がいること自体が、もうすでに恐ろしい、と?
日野 そう。おれ自身が、怖い人間なんだよ、って描きかたしたわけです。それがそのまんま、スタンプのように広まってしまった(笑) みんなそう思っていたみたい。おれ、当時漫画家との付き合いなかったから、漫画界で噂がたって。あの日野日出志って、少しおかしいらしいって言われて。
部屋中を極彩色にペンキで塗りたくって、蛇とか爬虫類を部屋に飼って、そこで漫画を描いているらしいとか。そんな噂が、まことしやかに流れてるって、担当から聞かされたのよ。エーッ。そんなのありですか、っていったら、かえってその方がいい、っていわれて。幻想を掻き立てるわけだから。むしろ正体隠して、
そのまんまいこうよ、って話しになった。そういう手もあるな、と思ってね。逆に言えば、ねらいは成功だった。あの作品が、インパクトを与えたんだけど。
栗原 逆にそれが、日野先生を縛られた部分というのも勿論あったわけですが
日野 囚人に繋がれた、鎖の鉄の玉にもなった。自分を、そこで決定しちゃったという
かね。そこから動きが取れなくなった。いい意味でも悪い意味でも。答えは分からないんですけどね。途中はえらい後悔もしたけれど。えらいことやっちゃったな、っていう。
栗原 今もまだ、そういう部分は引きずってらっしゃいますよね
日野 多分、僕だけじゃないと思います。ものを表現する人って。満足なんて出来ない
と思うんだよね。やってきたことに対して、100パーセント満足した人なんているのかなぁ。
栗原 そこで止まっちゃいますからね
日野 うーん。後悔とも違うのか?なんでこんな程度しか出来なかったんだ、っていう
。満たされるなんてありえないよ。すっごい空しいときもあるから。何やってたのかな、と思ってね。
栗原 また、新しい刺激を求めていらっしゃる?
日野 創作に、新しい刺激がほしい。もしかすると、子供向けの、児童小説なのかも。正直言うと、線描とか、細かい作業は、目が辛い。手は動くんだけど。こないだも、内科なんだけど、右目に緑内障の軽度の疑いがあるっていわれて。疲れやすいんだ。白内障ってのは、年齢で100パーセント出る。手術が必要かどうかは、個人差があるけど。だけど、緑内障はよくない。最悪の場合は見えなくなるもの。でも、右目に刀のつばでもつけて、独眼流を名乗るのも悪くないかな(笑)
怪奇ものやっていると、大抵のことには驚けなくなっちゃう。でもね、そろそろ描き始めるかもわかんない。清水先生も言っていたけど、もう一皮剥けたいね。おれが一番そう思っている。今のやり方をやっている限りは、『蔵六』や『地獄変』は、絶対に越えられない。『地獄変』『赤い蛇』は、30代の終わりごろ
。その頃の体力と、自分を取り巻く社会環境だとか、変わってきているしね。もちろん肉体も。おなじやり方、力技ではもう描けないんですよ。でも、やるからにはやっぱり、それ以上のパワーでやらなくちゃいけない。結局は、いままで積み重ねてきた技術的な部分ですね。引き出しだとかポイントがあるんで。それをつなげるだけの作業で終わっちゃいけない。今の自分の年齢にあった、等身大の発想が出来ないかな、と。
来年は、還暦なんですよ。還暦は、子供に返るという意味。もう一度巡って、もう一回生まれる。昔の人は、そんなに長生きじゃなかったからね。長く生きる人は珍しかった。そういう時代の名残りの言葉なんだけど。
しゃれているわけじゃないけど、もう一回、自分の中に残っている心象風景にタイムスリップし、子供の目線で、今の時代を見渡す。そのときに、いまの子供と会話が出来るかな、と考える。結構、子供好きなんですよ。さっき、子供が生まれるのが怖いって言ったけど。子供は好きなの。小さい子供を手なずけるのうまいんですよ。おなじ目線でしゃべればいい。おなじ発想すれば。手なずけるってあぶないか(笑)漫画に子供とか年寄り描くのは好きなんです。年寄りって、やっぱり子供に近いから。子供の目線に立って描かないと、本物の子供は描けない。
栗原 差し入れのお酒を買うとき、普段入らない、おじいさんとおばあさんがやっている酒屋に入ったんですが、妙にもてなされまして。例えば所沢なんかは、そういう環境が残っていたはずなのに、徐々になくなりつつある状況を、どのようにお考えですか。口惜しさのようなもの、または、創作への影響は?
日野 外の工事見たらわかるでしょ?でも、しょうがないよね。自分の力では。建てている人たちには、彼らの側の、事情や人生があるから。ただ、眺める側として、無責任なことを言えば、つまんない。
ただ、そういう風景が、日本中から駆逐されてしまったのかといえば、そうではない。行こうと思えば、さっきの話しじゃないけど、まだあるわけです。それこそ、白神山地も。ここからだって、15分ぐらい自転車で走れば、狭山丘陵じゃない。いけば、天然記念物のクワガタだとか、赤とんぼの群れも生きているし。
栗原 そういえば、今夜は秩父で夜祭りがありますね
日野 ああ。毎年行こうと思ってるんだけど、また忘れていた。秩父はね、元旦に秩父
神社で、抜刀道の仲間と奉納切りやってるの。今年もやって。来年はどうかな。むかし一回だけ、刀買いに、刀工の家へ行ったんだけど。打ち下ろして、まだ研いでいない刀がごろごろ転がっていて。品定めに夢中で、祭り見ている場合じゃなかった(笑)
栗原 漫画家になりたい生徒、っていうのも多いと思うんですが?
日野 いるよ。漫画は、絵、物語、テーマがうまくドッキングしていないと、生き残っていくのは難しいね。かつ、漫画として読ませなければ。若い漫画家は、読者層に年が近ければ、当初は感覚的に受けいられても、やがては通り過ぎていっちゃう。けど、本当に才能のある人は生き残るよ。『バカボンド』描いている彼なんかもそう。人物の描き方が優れているね。バカボンドって、横文字だけど、宮本武蔵のことでしょ。
武蔵といえば、中村金之助主演の『宮本武蔵』は、僕を変えた映画。主人公武蔵が、おのれの剣一本で生きていく様に、衝撃を受けた。日々をのんべんだらりんと過ごしていた、高校1年のとき。手にした剣一本で、自分の人生を極めんとする生き方を学んだ。そこからなんです。他にも、『切腹』『用心棒』など、日本映画最期の黄金期だった。おのずと、映画監督になることに憧れた。当時、教室で、『武蔵』や『切腹』の名場面を落書きした。たまたま隣にいた奴が、漫画に詳しくて、この世界に入るきっかけをくれた。映画の代償行為として始めたの。だけど、いつの間にかのめりこんで。ならば、俺はペン一筋に生きよう、と決めた。
栗原 そのとき、怪奇性は前提ではなかった?
日野 全然。むしろ、杉浦茂の漫画の雰囲気に憧れていた。ちょうど、赤塚不二夫さんが、サンデーで『おそ松くん』を始めたのよ。その瞬間にアウトよ。ギャグマンガをやったら、その亜流になってしまうことを予感した。他にも時代劇だとか試したけど、ぶっかって来ないのよ。資質が合わないんでしょう。高校を卒業して、バイトを続けたの。友達は、東京ムービーに行ってアニメーターやっていた。
そいつの紹介で、同人誌を始めたの。
試行錯誤だったけど、薦められてブラッドベリの本読んだとき、何かがスパークした。それが、怪奇と叙情の色合いを帯びたアイディアだった。これなら、それまで蓄積してきたものが生かせる、と確信した。短編が好きでね。芥川、Oヘンリー、今昔、怪談・・下地はあったんだろう。SF界の抒情詩人と呼ばれるブ
ラッドベリの、『刺青の男』は、欧米人にとっての原風景を表していた。彼の作品は、必ずしも、SFとも割り切れない部分がある。そこで閃いた。僕の場合、これまで自分が体験してきた、日本の原風景があるから、日本の風土に根差した、「怪奇と叙情」を、描くことにしたんです。これがおれのポジション。生まれ
たところは満州だけど、自分は日本人だから。それまでの絵を全部捨てて、ゼロから作り直した。その答えが『蔵六』だった。
栗原 それまでの迷いや諸々のものが、やっとひとつになった、と
日野 そう。先の見えない藪のなかを切り開いていたのが、ポンと一本切ることにより
、目の前に広がる平原に出くわしたような。
栗原 ホラー漫画という言葉よりも、「怪奇と叙情」の方がしっくりきましたか
日野 ホラー漫画という言葉は、当時ないの。恐怖漫画、怪奇漫画、そんな言い方だったね。ホラーという言葉は、自分からは一切使っていない。
栗原最近、ホラーという言葉で全て一括りにすることに、違和感があるんですが?
日野まあ、本作りは編集者がやること。作者は、いい中身を作り続けるしかない。隠
居できる身分じゃないんでね(笑)
栗原ブラッドベリ以外にご覧になった本は?
日野乱歩も読みました。怪奇的な作品は、手に当たるもの、内外問わずね。
- 2005年12月15日
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