日野日出志ロングインタビュー(2)

栗原 読み切りで?
日野 いや、連載で。どうしようかなと思いながら、いつこっちの仕事がまた駄目にな
るか分からないところがあったんで。
ごく、お手軽に、子どもの世界、学校というものを舞台に出して欲しいってことを、編集長が言ったから、学園百物語にしようと。単純に始めたの。始めたら、そちらの方の仕事が一段落付いちゃって。本来、そちらの路線でやってきているわけだから、決して嫌いじゃないんで。だんだん本気になって来ちゃった。気
が付いたら50回まで続く様な状況になって。それ以降10年ぐらい、ホラー雑誌で相当な量こなしてきちゃったの。
でも、またそのときに、結局、ホラー雑誌そのものが、そろそろ限界というのもあって。また、自分自身も惰性でやっているのを感じて。このままやっていて良いのかな、みたいのがあって。
年齢も考えて、自分があと何年描けるのか、というのを考えてみた。そうすると、自分がいま一番なにをやりたいのか、ということを問い直したときに、もう一回原点に戻ってやってみたい、というのがあったんですよ。
栗原 (その部分が、叙情なんですか?)
ファンタジーというかね。まだ具体的に掴んでいるわけではないんだけど。イメージとしてはある。もう何度か絵本を書き出したんだけど、途中で止まっちゃうんだよね。まるで新人のときみたいだよ。
栗原 それが、この前ちょっとお伺いした、宮沢賢治を構想してらっしゃるという部分につながってくるんですか
日野 いや、あれは清水先生が、宮沢賢治論を出したいから、そこで書いてみない?っていわれたの。しかも年内って話しだから、書く側としては、そう簡単には・・。宮沢賢治は、初期の頃よく読んでたし、好きなんだけれども。当然、ある種の影響は受けている。やってはみたいですよ。だけれども、宮沢賢治の作品っていうのは、文章で完璧に完成された世界。あの完成された世界にはね、そう簡単には手は出せないんですよ。心の準備もないしね。自分でやろうとすれば、もう一回読み直して、文章の一つ一つを自分のなかで熟成させてから、っていうのはありうるけど。すぐに書きますよ、という風にはいかない。清水先生にはそう説明したんです。だから、僕の方からやるということではなかった。
栗原 もし、「怪奇と叙情」の、怪奇ではなく、叙情という部分に戻るとしたら、宮沢賢治の世界とどこか通底するところに立ち返るといいますか、異なるとしたらどの部分が異なるのか、現時点ではどの程度まで構想されているんですか?
日野 そこまで行くとすると、凄く難解なはなしのつくりかたになってしまう気がする。
もっと単純に、娯楽としての、子供向けのものを考えているんだよね。いずれにしても、物語を作れば、必然的に何かしらテーマ性みたいなものは付随してくるんだけれども。どっちかって言うと、今まで自分がこだわってきたのは、テーマ性のほうであって、それが嫌な人にはヘビーなわけよ。見たくない、って風になっちゃう。難しいけどね。とはいっても、やっぱり娯楽性というのは常に頭にある。
栗原 漫画業界といいますか、出版についてのお話しになるんですが、ホラー漫画
という規定がある以上は、どの程度までホラーを使わざるをえないんですか?
日野 雑誌の場合、ホラー雑誌はホラー。
栗原 実験的な試みで、例えばホラーを全く出さないホラー漫画とか、どの程度ま
でギリギリできるものなんでしょう
日野 うーん、いまの雑誌ってそんなキャパはないな。
栗原 求められたものを?
日野 うん。だからこの間も清水先生が、日野日出志は娯楽漫画描かないで、『蔵六
』って。そこなのよ。『像六』の場合、娯楽性と、自分のなかにあるテーマ性・メッセージを、ギリギリのところで押し合って。それで、自分としては解答だと思った。
娯楽性だけに引きずられているわけでもなく、テーマ性だけにのめりこんでいるわけでもない。両方を兼ね備えるために、一年もかかった。でも、なかなかね。そんな作品、沢山は描けないんだよね。おれの場合、やっぱり自分のことから、自分の身体の中から発想しているので、そこから派生して、自分の親兄弟、血筋みたいなことから出発しているから。当然限界はある。例えば、今回は親指一本、次は人差し指、ってふうに切っていけば、無くなっちゃうからね。腕も足も。
結局、三十代で壁がきたんですよ。だんだん、どうやっていいかわからなくなってきた。雑誌の方も、おれに注文が来なくなっちゃった。単行本の書き下ろしって方向にやむなく流れるしかなかった。10年ぐらいそれが続いて。しんどかったんだよ。ただ、単行本の書下ろしやったのは、後になって考えてみると、勉強になったし。ホラー雑誌からガバっと注文がくるときに、30ページ、月三万くらい、なんということもなく描けるようになった。二十数年たって、自分の中のいろんな引き出しができたんだろうけど。やってて面白いところもあったし。俺、こんなに描けるのかって思うくらい、量をこなせたんだよね。二十代の頃より
、よっぽど早くなったんじゃないかな。たぶん、人の使い方もうまくなったんだろうけど。
それも十数年やって、ちょうど2000年に入った辺りかな。それに疑問を感じてきて。デジタルでなんかやりたいって思ってたんだよ。ホームページ作ったりして。2001年に、デジタル系のところと契約したりして、2002年の秋まで。だけど、やること全部うまくいかなくてね。契約切れたときに、2003年は、なんとなくどかっと疲れてたんだよね。絵本とかはじめたんだけど。
やはりストップしちゃって。2003から2004、それでもう今年も暮れるよね。
栗原 原点回帰ということで、当時『蔵六』は、怪奇の部分に特化したやり方だったと思うんですが、現在の日野先生が、あの時とおなじ情熱で、もういちど叙情の部分に光を当て直して、新たなものを表現しようと?
日野 意気込みはあるんだけどね。体力とか落ちているのかなって、ふと不安になるときがあるのよね。ダメなんじゃないか、って。それを、今は違うものがあるんだ、って自分に言い聞かせることで。もしかしたら自分をごまかしているのかも、って思いながらね。内面はじくじたるものがあって、これでも苦しんでるんです
よ。
去年、アメリカで単行本が十数冊でたりして、今年またスペインで2冊、また来年2冊出したいって話しがあって。去年フランスのエンブレムってところで、国際漫画フェスティバルっていうのがあるんだけど『地獄変』が、どこかの部門に最終ノミネートに残りましたって言う連絡があったんです。
栗原 先生ご自身はご存じないんですか?
日野 フランス版が去年でたんです。青林堂経由なんだけど。『地獄変』と『赤い蛇』
2冊ね。20年以上前の作品だし、実感ないから。今年ね、アメリカ版の『ザ・バグボーイ(毒虫小僧)』が、アメリカで毎年、ワールドホラーコンベンションというイベントがあるんですが。ホラーというジャンルの中の、映画だとか小説、コミックやゲームを集めたイベントがあって。漫画部門で賞取ったって。あれなんか30年前の作品だからね、実感がない。ホラーやめようっていうのに困るよな、っていうのがある。
その前に、アメリカ版出したときに、世界じゅうから取材が入って。カナダ、アメリカ、メキシコ、イギリス、あとイタリアもあったかな・・反響があったみたいで、戸惑っているのが今の状況です。
栗原 先生のお名前だけが一人歩きして、別の人格を作っているということですか?
日野 そう、やめようとすると、必ずそういうことが起きるの。そうすると、気持ちがぶれるじゃない。ホラー物やれといわれれば、いつでもできるのよ、正直。その気になりさえすれば、今日からでも考えられますよ。
だけど、昔、『蔵六』やったときみたいに、すごい情熱で描けるか、っていうと、わかんないんですね、自分でも。いま、この年になって、非常に大きな壁にぶつかっているんですよ。
栗原 ビデオ作品も、アメリカでDVD化されました。あれも、日野作品のひ
とつではありますが、純粋なホラーと呼ばれるものから抜け出そうとした、ひと
つの試みだったように僕は思うんです。ギニーピッグなど
日野 当時、ビデオ作ったときは、一番しんどかったときだから。単行本やってた時代
ね。もうやめたいな、みたいなのがあって、単行本やっていた10年間のいろんな思いを『血肉の花』で、ぶつけたんですよ。そういう意味では、挑戦的な作品だと思うのね。
去年、日芸の講義でもお話したじゃないですか。あれは犯罪だと思いますか?・・思いません、と。現実にはそうかもしれない。だけど、本心を言うとね、おれとしてはそうじゃないんだよね。ある種、社会に対して、刃を向けたつもりである。『地獄変』も描いたあとだし、ある種、挑戦状みたいな気持ちはあった。
- 2005年12月14日
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