日野日出志ロングインタビュー(1)

聞き手は栗原隆浩です。
栗原 日野先生、以前おっしゃっていたんですが、怪奇と叙情の、怪奇の部分を今まで強調されてて、これからは叙情の部分を強調されるということは、つまり、『蔵六』の世界との決別ということなんですか?
日野 いや、決別というよりも、怪奇の色合いが強かったので、シフトを少しこっちに移して。一番はじめにやりたかった、子供向けのマンガということを考えるとね、いま、それを漫画の世界でやることは難しいので。雑誌なんかの関係で。そうすると、児童図書とか絵本とか、そういう方向なのかな、と。ただ、それも結構挫折していてね。言い始めてから。もう二年ぐらいになるのかな。やってはいるんだけど。やってはつっかかり、やってはつっかかりなんで。漫画っていうのは、ある程度フォーマットが決まっているでしょ?方式がね。その方式の中に、自分の個性を出せばすむことなんで。原稿サイズも決まっているし。
ところが、それ以外の、絵本・児童図書なんかの場合、そういったものが全然ないんだよね。まったく形式が自由でいいわけ。逆に、コマ割り絵本なんていうのもあるから。特に、欧米なんか、40、50ページのオールカラーコミックスというかたちであるんだよね。ただ、絵はものすごくリキ入っていて、アートに近いのも。そういうものまで含めると、多種多様。それで、日本のも調べたんだけど、児童図書っていっても、しぼり切れないくらいジャンルもあるし、表現方法の幅があるんですよ。
今まで自分がやってきた、マンガという表現方法の積み重ねがあるんだけど、逆にそれが足を引っ張っちゃう部分もあるんだね。正直言うと、そこで、はたと行き詰って、立ち止まっているところなんだけれども(笑)。試行錯誤でね。
実際、今までやってきた怪奇もの、一般でいうとホラーっていうのかな、やめたいって思ったこと何回もあるって話しは、前にしたと思うんだよね。やめようとすると、いつも引っ張られちゃうんだよ。
栗原 怪奇の世界に?
日野 うん。平成元年ぐらいもそうだった。例の宮崎事件のときに、マスコミに相当い
じくられて、くたびれちゃったんだよね。めんどくさいなと思う、こういう問題が起きるのはね。だから、もともと自分の本来出発点だった、子供向けとかやってみたいな、って思ったりしたのね。で、イラストレーターでデザインもやる奴なんだけど、そいつと組んで、当時スタジオ1という名前のプロダクションを作った。とにかくどんなカットでも、絵を中心とした仕事でやろうということで、いろいろ営業して。実際、1年半ぐらいはいろいろ大変だったんだけれども。やがて仕事が来るようになって。アニメブックかな。そういうの作ってたのよ。赤毛のアンとかね。大変は大変なんだけれども、ゼロから自分の作品を作ることを考えると、はっきりいって、遊んでいるようなものなの。そういっちゃ失礼かもしれないけど。自分で単行本書き下ろすよりも、遙かにいいわけね(笑)これはいいな、これでホラーを止められる、と思ったわけ、その時は。で、一年半ぐらい、その仕事をずっとやっていた。そしたら、ホラー雑誌が出始めたってこともあって、そこから注文が来たのね。あんまり乗り気じゃなく、始めたんです。当時、8ページ、16ページだったかな。
- 2005年12月14日
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