■弥次喜多 in DEEP■ 神戸雄大

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 胡蝶の夢という著名な思想にもある通り、夢とうつつの狭間とか、今居る現実の不確実性というのは、四千年の昔より人間が考え、答えを欲していたものである。かくいう私も「夢の中で疲れるから眠りたくない」というひねくれた不眠症のような、心の間隙について一ヶ月程前に落ち込んだ。  漫画版弥次喜多のうつつの頼り無さ、自分の常識である現実の不確実性というのは、最終局面においての千年ボウヤの台詞「夢って怖い・・・」というのに集約されている。実際、三、四巻などの集団意識による思考停止、それを利用してのファシズム思想の描写などは(恐らく作者にとっても)些細な問題で、むしろ小道具である。そのような、人間社会が作り上げた狭い問題を描いていてもたかが知れている。最新型のコンピューターなどより余程優秀な演算処理機能を持つ人間の心、内宇宙を描けば、答えの知れたものを描くより値打ちがあるのだ。しかし人の心はロジックではなく、それを紙上に写そうと試みれば、カオス状態になるのは明白である。その意味で、弥次喜多は映画化には向いていなかった。というより、始めから商業ベースに乗せようとするには無理があったのだ。そうやって、映画の弥次喜多は作者と資本の中で、救いがたく乖離している、との印象を私は強く抱いてしまったのである。

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