便壺の底の旨み

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 【栗原隆浩(くりはら・たかひろ)】 日本大学大学院芸術学研究科在籍 
 

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通勤電車ほど、陰気な戦場はない。その戦いは日々繰り返されるゆえ、喧嘩特有の晴れやかさすら失ったダンジリ祭りだ。

私は前々から、電車の混雑ほど人々から嫌われているにもかかわらず、一向に問題視されることのない現象に、疑問を抱いていた。あの数メートル四方の空間で争われる席とりゲームに、真の意味での勝利者など存在しない。つかの間の勝者は明日の敗者であり、かろうじて吊り革につかまりダウンを逃れる10ラウンド目のボクサーに、明日自らがならないという保証はどこにもないのだ。


現在、往復3時間以上かけて通学している私にとり、通勤電車の惨状は、エッセイとして軽口にあげることすらためらわれる忌まわしいものだ。しりあがり寿先生の『流星課長』を読んで、心の底から笑い飛ばせる心境には程遠かった。生々しいマンガである。

ただひとつだけ、私が現在研究している「見世物小屋」(この場合古典芸能の意味はなく、大衆文化としての)との共通点を発見することができた。表向きは社会に隷従しているくせに、どこかで世の中を挑発しているのである。例えるなら『流星課長』は、思いがけず便壺の底を覗いた気分を味あわせてくれた。“お前たちが作り上げた、美味しくて綺麗なご飯から生まれたものが、これだ”。


これまで学校や会社へ向かうための手段として封じ込められてきた通勤電車は、もはやわれわれが意図した意味や文明の壁を越え、豊穣なまでの旨みを内部に満たしているのかも知れない。その事実そのものが、既に芸術のモチーフとなりうるではないか。『流星課長』は、そんなことを私に考えさせてくれた。もっとも大半の利用客からしてみれば、その旨みははた迷惑な毒素に違いないが。

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コメント

昨日夜九時からヤフーのトークライブでしりあがり寿氏が出演。研究室で一人でみました。しりあがり先生は半ズボンで寒そうだったけどおもしろい話をしてましたよ。つげ義春にも影響を受けたそうなんですね。

  •  mayonaka
  • 2005年07月13日 11:36
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