三遊亭白鳥プロフィール

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昭和38年(1963)、新潟県上越市生まれ。本名 藤田英明
新潟県立高田高校、日本大学芸術学部文芸学科卒業。
昭和62年7月、三遊亭円丈に入門、二番目の弟子となり、三遊亭にいがたの芸名をもらう。
平成2年3月二つ目に昇進。三遊亭新潟となる。
平成13年9月、真打に昇進。三遊亭白鳥となる。
公式ホームページ  三遊亭白鳥の湖

落語家 三遊亭白鳥 インタビュー(1)

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三遊亭白鳥氏 インタビュー

――落語家がふり返る日芸時代――

 二〇〇六年四月六日、池袋演芸場にて、三遊亭白鳥氏の寄席を聞く。高田文夫氏率いる日芸出身・落語家たちによる「日芸寄席」を見逃したためである。
 とにかく爆笑。白鳥氏の身体から発散される熱気、着物についてる猫ちゃんのアップリケ、弾丸のようにとんで来る言葉。気付いたら手を叩いて笑い転げていた。落語初心者の私であるが、すっかり白鳥ワールドに引きこまれてしまったのである。 
 聞き終わった後の爽快感に、笑いには浄化威力があると体感した。またまた日芸の先輩にセラピーされてしまった私は、さらなる笑いを求めて、インタビューを試みたのである。

落語家 三遊亭白鳥 インタビュー(2)

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――白鳥さんの落語、とてもおもしろかったです。後ろの方で手を叩いて笑ってたんですけど見えてましたか?

白鳥 僕、近眼で客席見えないんだよ。(笑)

――そうなんですか・・・・ ところで、落語で出身地の新潟のことをよく話題にされていましたね。白鳥さんは新潟から、わざわざ芸術学部というわけのわからないところに、なぜいらっしゃったんですか。

白鳥 僕の出た高田高校は、新潟でも三番目の進学校だったんです。高田高校から日芸に入ったのは、俺が初めてかな。みんな早慶だとか国立系に行ってます。高田高校というところは、現役で四人ぐらい東大に入る高校で、とにかく高田高校に入らないと東京に行けないんですよ。ちなみに僕の兄貴はめちゃくちゃ出来がよかったけれど、僕は出来が悪かったんです。でも、とにかく東京に出たかった。当時は、TVのプロデューサーに憧れていてね。芸能人と結婚したい、っていうよこしまな想いもあって・・・。その中で、一番偏差値のレベルが低くて、TV関係に強いのが、日芸の放送学科だった。それで、放送を受けたんだけれど落ちて、なぜか文芸に入った。それでも倍率は、三六倍ぐらいだったかな。

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落語家 三遊亭白鳥 インタビュー(3)

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――学生時代の白鳥さん自身についてもっと教えてください。やはり、「変な奴」だったんですか?

白鳥 そうだね、僕は「変な奴」の最たるものだったんじゃないかな。空手部に無理やり入れられてしまったから、そこで抑えつけられていたぶん、学科の方で爆発してしまった。雨戸盗んできて、廊下で流しそうめんやったり、壁に絵を描いたり、構内で焚き火したりね。田舎者だったから、とにかく変わったことをしたくてね。今、当時の俺を嫌っていた女の子たちが落語聞きに来てくれるんだけど、その頃は近づきたくなかったんだって。単なる異常者だったから。この世界にいて今も「変わっているね」といわれるんだけど、大学時代を知っている奴らはみんな、「まじめになったよね」って言うよ。

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落語家 三遊亭白鳥 インタビュー(4)

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――ちなみにネタはどのように考え、どのように選択して寄席で披露しているのですか?

白鳥 他の噺家さんとダブらないようにしようとかね、毎日、少しずつネタを変えたりしてます。最近は特に意識してアンテナ張らなくても、ネタを選別できるようになりました。ネタにするために映画をみよう、とかそういうのは全然駄目。日々の積み重ねで、選別できるに到るまでは、何百というネタの蓄積が沈んでいるんですよ。

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落語家 三遊亭白鳥 インタビュー(5)

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――落語界の師匠と弟子の関係というのは辛いんですか?

白鳥 辛い! もちろん師匠によるけどね。いくら落語が好きでも、やはり人間関係だから、残る奴の方が少ないよ。うちの師匠も、すごいヒステリックな時は罵声を浴びせるから、みんな萎縮しちゃう。僕は高校からずっと、柔道、ラグビー、空手の体育会系でやってきていたから、今は辛くても二年、三年過ぎれば楽になる、って分かっていた。そのことを知らないでこの世界に入ったら、結構大変だったかもね。

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