編集者 津野海太郎 インタビュー(1)

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tsuno_one.jpg牛田: インタビューのプロである津野先生にインタビューをさせて頂くのは大変恐縮です。文化会議ではインタビューに力を入れているので、ぜひアドバイスを頂くという意味でインタビューさせて頂きたいと考えています。先生は授業内で、学生さんにインタビューをさせているそうですが、どのようなお考えがあってですか。
津野:たいがい、学生は話すことが苦手。文章の上では割と雄弁なんだがね。学校の講義のような受身ではなく、自分の方から聞かなければ、なにも喋ってもらえないような場所に身を置いてみて、そこで聞き出したことを、できるだけ生き生きと書いてほしい、ということです。

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編集者 津野海太郎 インタビュー(2)

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tsuno_utsumuku.jpg牛田: 先生自身がインタビューをする場合、絶対にする質問はありますか。
津野:それは人に応じてね。あまり一般的なことは聞かない。聞きはじめをどうするかなど気をつける。僕自身、インタビューもたくさんされているけど、自分から喋りたくなるような聞き出し方をしてくれないと、おっくうでね。つまり、どうやったら相手が乗ってくれるか。インタビュアーに対して関心をもってくれて、自発的に喋ってくれるようにするためには、やっぱり相手のやっていることに関心を向けないといけない。 例えば、「この間、津野先生の文章を読んだんですが、ここが面白かったんですが」と言ってみるところから始める。しかし、誰もが言うようなところを言うんじゃなく、ちょっとひねってみる。自分なりの言葉を少々加えてみる。「あの文章の、あそこの呼吸がよかった」などテーマからは少し外れてしまったところが、逆に重要だったりする。テーマというものはもう抱えていて十分わかっているから、相手をびっくりさせておいて、入っていくとかね。逆に、あんまり真面目な人には、正統的に切り出してみたり。入り方の工夫が、初心者にとっては大変だったりする。

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編集者 津野海太郎 インタビュー(3)

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over_the_table.jpg牛田: 私は60年代の新宿と三丁目にあった新宿文化劇場で上映された作品をからめて研究しました。津野先生は自他ともに認める新宿通ですので、新宿についてお聞きしたいと思います。
津野:僕は、小学校のときから新宿にいたからね。あの町が出来てくるプロセスを、焼け跡の時代から見ていた。闇市も少し残っている時代でね。小学生のころ、産業文化博覧会っていうのがあって1950年にパビリオンができた。そのとき、今の歌舞伎町の構造ができるわけ。いうなれば、ゴールデン街は闇市文化の流れですよね。闇市で、安い酒が手に入るということで、いろんな連中が集まったわけ。そこでは、闇市風の、荒っぽい酒の飲み方をしていたの。酒の飲み方っていうのは、ひとつの文化だから。時代時代によって、飲んでここまでやっていい、ということに違いが出てくるからね。人にからんでゲロ吐いて、そういう流儀が、高度経済成長が始まっても、あそこら一画には生き延びていた。唐十郎や、中上健次なんかは、ずっとやっていたけれど。特に映画っていうのは、体質的に古い社会だから、一時代前のすさんだからみ酒を、最後までやってきたところがある。新宿の街が、どんどん変わっていくなかで、あのゴールデン街だけが、そういうルンペン左翼的な空気を残してきた。新宿は学生が多かったし、元をただせば宿場町だったから、あまり上品なところではなかった。中央線から流れてきた人たちにとって、東京の玄関は新宿だし、その周辺にはおのずと、よそ者が入りやすい町の空気ができる。

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編集者 津野海太郎 インタビュー(4)

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tsuno_kaitaro.jpg牛田: 津野先生は、俳優はやらないんですか。
津野:僕はしません。六月劇場はやったけれども、自由劇場の黒テント以降は、演出も、そんなにはやりませんでした。周りに優れた演出家、佐藤信、唐、鈴木、とかがいたから、それはやめたの。ちょっとかなわない、ってね。
牛田: もう一方の編集者としてのお話もうかがいたいと思います。先生は台湾や韓国で本を出されています。黒テントもアジアとの関係が深いのですが、なぜ、アジアに興味をもったんですか。
津野:70年代の末かな、ずっとアングラをやっていたんだけど、題材として唐も鈴木の芝居にも昔のアジアのことはよく出てくる。だけど、実際のアジアの現在については、何も分からなかった。今と違ってね。じゃあ、20代30代、自分たちと同じような年齢で、新しい芝居をやっている人間はいないんだろうか、ということに関心がいった。70年代に入ると、欧米のことについては、少しずつ情報が入ってきた。3ヶ月ぐらいヨーロッパとアメリカ、東欧も含めて芝居をみてまわった。ベネツィアン・ビエンナーレとか各国のいろいろなフェスティヴァルで日本の現代演劇について知りたいという要望があったのね。『Concerned Theatre Japan』という、日本の現代演劇についての雑誌を出した。自閉的ではなく、社会的なものと関わりをもつ演劇、という意味でね。あまり美的でもなくてね。黒テントの仕事のひとつと『同時代演劇』という雑誌と英語でも演劇雑誌を出した。

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編集者 津野海太郎 インタビュー(5)

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tsuno_ushida.jpg牛田: 出版という仕事でアジアと協力していくと著作権の問題が大変だと思います。先生の本は、無料で読める電子版になっているものがありますが、著作権の問題を考えた場合、お金を払わなければ見せない、というような人たちもいると思うんですが。
津野:もちろん、全部の本というわけじゃないよ。絶版になったものとか、選んでね。じゃないと、アーティストはみんな食い上げだよ(笑)著作権っていうのは、50年で切れちゃうものだから。むろん、僕らは本を商品として作るわけだけど、本当に単純に商品だけか、というと、そうじゃない。図書館に行けば、無料で目を通せる。つまり、本のなかには、有料の商品としての部分と、無料の文化資産としての部分がある。今は、その折り合いが両極端に走って、難しくなってしまった。

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