松本俊夫氏に聞く―芸術・映画についての原初的体験(1)

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文化会議 特集インタビュー only.jpg 今回は、記録映画、実験映画、劇映画、ビデオアート、インスタレーションなど、多彩な領域で作品を作り続けてこられた映像作家の松本俊夫氏にお話を伺いました。松本氏は、1932年名古屋市生れ、東京大学文学部美学美術史学科を卒業後、処女映画作品『銀輪』(1955)をはじめとし、『薔薇の葬列』(1968)、『修羅』(1971)、『ドグラマグラ』(1988) などの長編劇映画や『つぶれかかった右眼のために』(1968)、『アートマン』(1975)などの実験映画作品を数多く製作される一方で、映画の評論や批評の執筆も精力的に手がけられ、『映像の発見』(1963)、『表現の世界』(1967)、『映像の変革』(1972)、『幻視の美学』(1976)、『映像の探究』(1991)などの著作も発表されてきました。特に、戦後の日本映画界においては、映画の製作、上映、批評、研究をめぐる新しい状況を作り出す活動を牽引されました。 現在は、日本大学大学院芸術学研究科客員教授として映像製作や研究を志す学生の指導にあたられています。このインタビューでは、松本氏ご自身の映画体験を中心にお話いただきました。


聞き手は文化会議の広瀬愛、牛田あや美、写真撮影は山下聖美です。

(平成17年11月21日、日本大学芸術学部江古田校舎松本俊夫氏研究室にて)
以下、敬称略。

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松本俊夫氏に聞く―芸術・映画についての原初的体験(2)

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広瀬 実際に、映画を自分の表現として考えたのは、大学に入られてからですか?

松本 いや、高校の終わり頃に、イタリアン・リアリズムが入ってくるんです。ロッセリーニとかヴィットリオ・デ・シーカの世界に接して、今までのフランス映画に対する、うっとりするような体験の世界が木っ端微塵に砕けていく感じがしたわけです。映画ってすごいってほんとに思いました。いままでは趣味で好きだった。でも、イタリアン・リアリズムのような映画を作る人生や世界にものすごく憧れました。けれども、この時期の映画界っていうのは、今と違ってとっつきようのない特殊な世界だった。ましてや自分で個人映画を撮るような時代じゃなかった。映画界は、憧れの向こうの世界なんだけども、こんなものを作るって言うことができればすごいな、と思った。

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松本俊夫氏に聞く―芸術・映画についての原初的体験(3)

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広瀬 学生時代には、文学作品からも影響を受けましたか? udegumi.jpg 松本 カミュやサルトル。いわゆる実存主義の時代になっていくんです。それ以前の文学が色あせてしまうぐらいに、その方法論や世界観も含めて文学の新しい土壌に思えたわけね。同時にそろそろその後につながるアンチロマンとかアンチテアトロとか、そういう世界がやってくるわけで、そこへつながっていくんです。
広瀬 鶴屋南北もお好きだと思うんですけど


松本 南北はね、もうちょっと後。大学出てから。全集を買って丹念に読みました。

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