文筆業 切通理作インタビュー(1)
今回は2002年度サントリー学芸賞を受賞した、評論家、脚本家、官能小説家、そしてついに俳優デビューまで果たした切通理作さんにインタビューさせていただきました。実は切通さんが主催しているネットラジオ、「切宮~キリミヤ・シネマラジオ」に誘っていただき、お話させていただきました。まさにクロス・ネット・インタビューとなります。
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- by 文化会議
- at 16:02
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今回は2002年度サントリー学芸賞を受賞した、評論家、脚本家、官能小説家、そしてついに俳優デビューまで果たした切通理作さんにインタビューさせていただきました。実は切通さんが主催しているネットラジオ、「切宮~キリミヤ・シネマラジオ」に誘っていただき、お話させていただきました。まさにクロス・ネット・インタビューとなります。
牛田:一番いいたいところが最後にくる。お楽しみが最後だと、分厚い本は不利ですね。
切通:『宮崎駿の〈世界〉』を出した時、明らかに前半しか読んでないと思われる人から、「評論になってない」って言われましたね。最後まで読んでくれよって思いました。『山田洋次の〈世界〉』の時はそれを意識して書きました。そうしたら今度は前ほど売れない。結局当てにならない書評なんです(笑)。タイトルに「寅さん」を出したらもっと売れたかもしれませんね。寅さんの「生まれも育ちも葛飾柴又~」っていうような名調子な語りを二行以上引用しないというルールは決めました。既成の寅さん論、山田洋次論はみんなそれをやってしまって、寅さんの語りのリズムに地の分が埋没しちゃうんですよ。そこには寄りかかりたくなかった。
牛田:文筆業は孤独な感じがするのですが、何か書いてはげみになったことなどありますか。
切通:昔、僕の最初の本『怪獣使いと少年』を川本三郎さんが読んでくれて、「細部が豊かなので、大きな論が浮かび上がってこないのがいいです」って葉書を頂いたのですね。僕は作家論など書くときには、この言葉を座右の銘にしています。細かすぎて論が浮かび上がってこないきらいがあるというのは批判にも使えますよね。でも川本さんはそれがいいって言ってくれたんですね。それで映画とかアニメを対象にするときには、もちろん言いたいことはあるのですが、細部のほうを大事にしようって思ったのです。僕は書き方に二系列あって、社会評論系はすぐに言いたいことがわかる表現にしようと思います。作品論、作家論系は、読んでくれた人が、言いたいことがすぐに浮かびあがってこないようにしています。『宮崎駿の<世界>』でサントリー学芸賞をいただいたときの審査委員に川本三郎さんがいらっしゃったので、その点を認めてくれたのかなって思ってうれしかったですね。
牛田:切通さんにとってこれは頼まれても書きたくないものってありますか。
切通:仕事で来たものに対してはほとんど断ったことないんです。自分がもともと興味を持っていたことだけでなく、相手がドアを開いてくれることがあります。例えば、ある本の書評をしてくださいって仕事があって、存在も知らない本だったりするわけですよ。自分の趣味だけで読んでいればその本に出会わない。自分の見方だとどうしても時代の片側だけみていたりしますからね。時間的な問題で出来ないことは辞退することもありますけど、その場合でも時間がもう少しあれば出来るだけやろうとします。僕、薔薇族映画で『ゲイのおもちゃ箱』(ENKプロ、1993年)というオムニバス作品の一つで脚本を書いたことがあるんですよ。それが経歴に載っていて、ゲイ・カルチャーの歴史を書いて欲しいという仕事がきたのですね。いつまでですかって尋ねたら三日後だったのです。全然知らない世界だったからご辞退したのですが、時間があれば調べたかったですね。
牛田:切通さんのブログのなかに「自分の存在を投企するために他者にそれを増幅して求め、醜い総括リンチを繰り返す閉塞を自ら作り出したともいえる彼女(永田洋子)にとって、ようやく訪れた、世界と自分が一致した瞬間」という文章がでてくるのですが、これが御著書の情緒だと思いました。
切通:永田洋子の『十六の墓標』(1982年、彩流社)を読んだときにそれは否定できないと思いました。最後の1、2頁です。逮捕される瞬間。あそこは美しい。ただそこを固定化して現実を否認するのは情緒とは逆かもしれないですね。
牛田:俳優さんはまた頼まれたらやります。
切通:もちろん。俳優は自己発見のおもしろさがある。言われたとおりにやっているだけなのに、出来た映像を見ると「自分ってこうだったのか」って思うんです。全部自分でコントロールする物書きの世界とは違う醍醐味があります。