日本近代文学研究家・平岡敏夫 「坊っちゃん」誕生100年記念インタビュー

平岡


日本近代文学研究家・平岡敏夫
 「坊っちゃん」誕生100年記念インタビュー 

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平岡敏夫プロフィール
(ひらおか・としお)1930年、香川生まれ。東京教育大学大学院博士課程修了。横浜国立大学教授、筑波大学教授、群馬県立女子大学学長を経て、現在、筑波大学名誉教授、群馬県立女子大学名誉教授。『北村透谷研究』『日露戦後文学の研究』『石川啄木の手紙』をはじめ、漱石、鴎外、独歩、芥川等の作家論、『明治』『「舞姫」への遠い旅』『ある文学史家の戦中と戦後』等のエッセイ集、詩集に『塩飽』『浜辺のうた』などがある。

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「『坊っちゃん』試論」はこうして生まれた

山下 2006年は『坊っちゃん』が発表されて100年という記念すべき年です。そこで、坊っちゃん研究の先駆け的存在である平岡先生に、あらためて『坊っちゃん』についていろいろとおたずねしたいと思います。同時に、先生が生涯をかけて研究していらっしゃ日本近代文学というものについてもお話を伺えたらと思います。
 先生は悲劇としての『坊っちゃん』論をはじめて書いた第一人者でいらっしゃいますが、そもそも、なぜ『坊っちゃん』という作品に惹かれるのでしょうか?
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平岡 『坊っちゃん』の研究というのはだいたい昭和40年代頃から始まるといわれていますが、横浜国立大学で漱石の講義を始めたのは昭和43年で、そのときに『坊っちゃん』を何度も読み返したわけです。
 終りにくるとジーンとしちゃう、それが『坊っちゃん』を読んだ最初の印象ですね。涙が滲んでくるような作品だと感じました。オーバーに言うと、涙なくして読めない小説だと思ったんですよ。こういうようなことを話ながら講義をしていて、昭和46年の1月号の『文学』(岩波書店)に「『坊っちゃん』試論ー小日向の養源寺」という論文を書きました。
 この論文では、小日向の養源寺に眠る清と、坊っちゃんの関係という問題を中心に取り上げました。それから学校の問題。当時は全共闘運動の盛んな時代で、意識していたわけではなかったのですが、大学の教員をしている仲間から今の時代の学生と教師の断絶の物語だと言われたことがあります。坊っちゃんと生徒集団とは断絶していて、連帯を硬くしようということもないわけです。
 明治39年発表の島崎藤村の『破戒』は、主人公が非差別部落出身で、それを告白することで差別を受けるのですが、生徒たちは先生を大変慕っていますね。先生が去るときに、生徒たちが見送りに行こうとする場面もあります。学校小説というのは、教師と生徒たちとの結びつきというのがあって成り立っているわけです。同じ39年に啄木が『雲は天才である』という小説を、未完成なんですが書いています。これも生徒と先生の深いつながりが描かれています。
 必ず、先生と生徒の間にはつながりがあるんです。ところがあの頃は大学も教員も全共闘を全否定という感じでした。そのことを反映して、孤立している教師と坊っちゃんが重なっていったと読まれたのです。

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日本近代文学研究家・平岡敏夫 「坊っちゃん」誕生100年記念インタビュー (3)

平岡

有名な作家はみんな「佐幕派」

山下 学生対教員という形で孤立と断絶が見えたのと同時に、例えば教師一人ずつの孤立という点ではどうだったんでしょうか?
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平岡 教師集団の中でも結局、皆、孤立がありますよね。それから対立もあります。『坊っちゃん』でもいろいろなニックネームを与えられて教員たちが登場しますが、あの中に二系統があって、私に言わせると、元旗本の子弟である坊っちゃん、元会津藩主の子弟であった山嵐がつながっているわけですね。それから、うらなりが松山で、松山は官軍の敵で佐幕派です。松山は長州征伐に参加していたんだけれども、逆に長州が松山征伐をするというので、大金を出して第二の会津若松にならずにすんだ。だからうらなりは力がないんです。
 教頭、たぬき、校長というのは学校の権力者で牛耳っている。生徒たちだって、エリートですから、明治政府の政財界のトップに行く可能性を持っている。佐幕派系の坊っちゃんと山嵐は、そういう人たちとも闘っているんです。負けるもんか、負けるもんか、と。だけど負けるわけですよ。まさに佐幕派の運命なんですね
 私は『日本近代文学の出発』(1992年9月 塙新書)という本で、山路愛山の『現代日本教会史論』に書かれている「精神的革命は時代の陰より出づ」という言葉を取り上げました。本当の精神的革命というのは時代の陰から出るんだと言ってるんです。陰というのは、権力を奪われた佐幕派の人たちだと言ってもいい。政界、経済界、陸海軍、いろんなところで上に行くことができない状況になって、それでキリスト教や文学の道に行くわけです。だから大きく言うと薩長側からは文学者が一人も出ていない。明治の有名な作家はみんな佐幕派なんです。

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日本近代文学研究家・平岡敏夫 「坊っちゃん」誕生100年記念インタビュー(4) 

平岡

文学は夕暮れから始まる

山下 詩の話が出ましたが、先生は昔から詩を書いていらっしゃるのですか? 先生の文学の出発点について教えていただけますか?
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平岡 昭和19年の4月、14歳になったばかりのとき、陸軍の学校に入りました。当時まだ陸海軍はしっかりしていましたから、20年の春までは教育もちゃんと受けて、それで戦争が終わったんですね。大日本帝国のために命を捧げたい、負けるはずがないと言っていたのが、一転して負けてしまった。すると今度は逆に学生運動です。朝鮮戦争が始まって、再軍備だということになるから、反対しないといけない。戦争体験があるから余計に強く、平和を守らなければいけないと思うわけです。そういう中で詩を書きはじめました。中野重治の詩にとても惹かれていましたね。文芸部なんかで書きためたものを、ガリ版で出したんです。

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日本近代文学研究家・平岡敏夫 「坊っちゃん」誕生100年記念インタビュー(5)

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『坊っちゃん』誕生100年目のうらなり

山下 坊っちゃん100年の今年、何冊か坊っちゃんについての本が出ましたね。
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平岡 最近では、朝日新聞に『漢方流坊ちゃん』という本の広告が載っていましたよ。漱石は胃腸が悪くて、だからイライラしていたんだ、と。漢方で治したらもっと明るい『坊っちゃん』ができたんじゃないか、と。(笑)それから、ダイヤモンド社からは、『坊っちゃん物語』が出ています。坊っちゃんが現代の東京に出現したらどうなるか、という話です。
 『坊っちゃん』100年ということで、いろんな物語が生まれてくるぐらい作品が有名なんですね。その中で、文壇的に言うと小林信彦さんの『うらなり』が出て、それを面白がっている人が多い。私はこれを読んで非常に不愉快になりました。今話したような問題が受け止められていないどころか、坊っちゃんを矮小化した、つまらない男に持っていって、それに喝采を送っているような文壇はいったいどうなっているんだ、と。それで、私は「うらなり」という詩を創ったんです。
 『坊っちゃん』についていろいろ研究した木村直人さんも小林さんの『うらなり』を読んで憤慨していると言ってましたね。

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日本近代文学研究家・平岡敏夫 「坊っちゃん」誕生100年記念インタビュー(6)

平岡

「やせ我慢」はどこへ行った?

山下 ところで、坊っちゃんのようなキャラクター、つまり、世間知らずで無鉄砲で、何かに庇護されていて、というようなキャラクターですが、こういう人というのは現代にもよくいますよね。日本で脈々と引き継がれているキャラクターのような気がします。最近ですと「ホリエモン」が出てきたときも坊っちゃんだと思いましたし、もしかしたら、そもそも日本という国そのものが、アメリカの庇護のもとで坊っちゃんであり続けているのではないかとも考えました。
 平岡先生は坊っちゃんのキャラクターを「やせ我慢」という特徴の系譜でとらえていますね。
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平岡 そう、やせ我慢、そして負けず嫌いというのが坊っちゃんの特徴だと思います。

山下 負けず嫌い、というのが面白いです。勝とう、ではなく、負けてなるものかというのが。宮沢賢治の「雨ニモマケズ」も、勝つではなく、負けない、ですからね。

平岡 負けじ魂というのは、圧迫された人、下積みの人、陰の人が、それにへこたれて奴隷根性になり、屈従し、おもねていき、権力にすりよる、そういうことができないことなんですね。これは日本人だけじゃないと思うんですけれど、とくに、佐幕派というかたちであらわれていると思います。
 結局、日本という小さな国がやせ我慢の精神を捨てたら、大国にすり寄っていって、大国の子分になり、属国になってしまうでしょう。どんなにすり寄った方が楽でも、やせ我慢しないといけない。現在の日本を見ると、とくに小泉内閣は著しかったけれど、やせ我慢がない。すべてアメリカに追従して、イラク派遣でも無傷で終わって、防衛省に格上げした時に脇役の任務だった海外派遣を本務にもってくるということをセットにしているわけですね。
 坊っちゃんはやせ我慢なんです。赤シャツに給料を上げてくれると言われて、ありがとうございます、と言えばいいものをそれをしない。山嵐と共に卵をぶつけて帰ってくるわけです。たわいないと言えばたわいない。福沢諭吉がやせ我慢の心理を「我が日本国民に固有するやせ我慢の大主義」と言っていますが、『坊っちゃん』もそれを貫いているというのが私の説なんです。

山下 今はやせ我慢をしている男性はあまり見ないような気が・・(笑) そういう時代なんでしょうか。

平岡 日本の国の有り様もやせ我慢ではないし、人間のあり方もやせ我慢ではない。飽食でしたい放題ですね。「痩我慢の説」で勝海舟、榎本武揚を名指しで非難した福沢諭吉は慶応義塾を起こして、決して明治政府には付かなかった。私も、人生、やせ我慢したつもりでいるけれども、現代に生きているわけだから、それだけでは生きられない(笑)

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