びん博士インタビュー(1)

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今回はなぞに包まれたびん博士、庄司太一さんにお話を伺ってきました。映像作家かわなかのぶひろ先生から、びん博士を紹介していただきました。びん博士はガラス瓶研究家です。『びんだま飛ばそ』(PARCO出版、1997年)、『平成ボトルブルース』(廣済堂出版、2001年)などの瓶についての書籍があります。さらにミュージシャンとしても活躍されています。

インタビュー場所はびん博士が主宰するボトル・シアターです。ものすごい数の瓶、瓶、瓶。瓶のおばけがでるのではないかという怪しい劇場です。というのは冗談で瓶が光をあびて、とても綺麗な劇場でした。劇場は予約制です。びん博士、貴重なお写真ありがとうございました。


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びん博士インタビュー(2)

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牛田:このラムネ瓶はビー玉が底のほうにあるのですか。


びん博士:底玉式っていうのです。昭和の初めに富山で翠田辰次郎という人が開発しました。普通の玉ラムネ瓶は1872年にイギリス人ハイラム・コッドによって発明されたのです。それを真似た国産第一号瓶は、明治25年頃に大阪の今はなき徳永硝子会社の創始者・徳永玉吉によって作られたといわれています。徳永硝子というのは戦前には飛ぶ鳥を落とすいきおいの会社でした。徳永硝子の50年史の中に徳永玉吉がイギリス製のラムネ瓶をそっくり真似たという記述が残っています。洋文字までガラス瓶に入れてしまったのですよ。つまりオリジナルのイギリスの会社名をです。ダン・ディダンスというのですけど。それがために特許違反で警察に呼び出されたというエピソードが掲載されていました。ただそれを私は冗談だと思って信じていなかったのです。いくら真似するっていったって洋文字まで入れないだろうってね。ところがあるとき、ラムネ瓶に洋文字が入っているのを見つけたのです。それは徳永硝子のものではなかったのですけどね。当時洋文字を入れると箔が付くというのがありました。玉吉にしてもそうしたのだと思うようになりました。おそらく本当の話しだったのですよ。

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びん博士インタビュー(3)

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牛田:この大きい瓶はなんですか?


びん博士:これはトリスウイスキーっていって、寿屋が作った巨大な広告瓶です。昭和30年代になるとトリスバーには必ず置いてあるものでした。一時代流行したものですね。中身は入ってないですよ。これは広告用のものです。


牛田:広告用なのに瓶なのですね。


びん博士:そうです。無理して入れれば、10升は入ると思います。戦前の広告瓶は酒屋の店の屋根の上に針金でくくりつけてあったのですが、みんな10升入る瓶でした。

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びん博士インタビュー(4)

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牛田:これは何ですか?


びん博士:標本箱に瓶が入っているのですよ。水戸で行われた展覧会のときに作ったものです。資生堂がまだ西洋薬舗資生堂と名乗って薬を売っていたときの時代のものです。これは西南戦争のときにばか売れしたといわれています。その頃、何にでも効く万能薬として市販されていたのですよ。でも実はモルヒネとか、強烈な薬が入っていたのです。戦争時はすべてが緊急でしたから、一発で効かないと駄目なのです。とにかく爆発的に売れたのですね。「神薬」とか言うと、いかにも日本の薬っぽい名前ですけど違うのですね。

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びん博士インタビュー(5)

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牛田:今までどんな方がボトル・シアターを尋ねたのですか。


びん博士:ほんとうにさまざまな人たちです。本を読んでいらした方、そうそう瓶好きの刑事さんもいらしたことがありますね。興味のあった指紋検出用瓶のことを逆にいろいろ聞いてしまいましたね。テレビを見ていらした人もいますね。いつぞやはおもむろにハンドバックから香水瓶をとり出し、オジとの不倫愛の思い出の香水瓶なのですが、預かって欲しいっていう人もいましたね。

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