写真評論家・飯沢耕太郎(1)


写真評論家・飯沢耕太郎


飯沢耕太郎(いいざわ・こうたろう)プロフィール
写真評論家。一九五四年生まれ。日本大学芸術学部写真学科卒。筑波大学大学院芸術
学研究科(博士課程)修了。1990~94年、季刊写真誌『デジャ=ヴュ』編集長。主な著書に『「芸術写真」とその時代』(筑摩書房)、『日本写真史 を歩く』(ちくま学芸文庫)、『写真美術館へようこそ』(講談社現代新書)、『私 写真論』(筑摩書房)、『「写真時代」の時代!』(白水社)、『荒木本!』(美術 出版社)などがある。



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インタビューの前に Text by 山下聖美


 写真評論家・飯沢耕太郎氏は、日本大学芸術学部文芸学科の授業を担当している。実に二〇〇人ほどの学生が毎年受講するこの授業は、文芸学科きっての人気講座だ。他学科公開の授業であるために、写真学科の学生もその大半を占めるほどに多く登録してる。この授業がある日は、授業補助をする二人のティーチングアシスタント、そして研究室の助手たちも総動員で、てんやわんやの授業準備が行われるのだ。


 日芸を卒業し、今をときめく写真評論家として活躍する氏のナマの声を聞きたい、そのオーラをじかに感じたい、という学生がいかに多いことか。


 何を隠そう、この授業の裏方を率先してつとめている私もまた、こんな思いを抱いているもののうちの一人だ。何よりも、写真評論家として、文芸学科で教鞭をとる氏の「文筆力」に私は大変興味を持っている。ひょうひょうと研究室に現れ、ひょうひょうと授業に行き、そしてひょうひょうと執筆を行っているのであろう、氏の、仕事に対するナマの声を探るべく、インタビューを試みた。

写真評論家・飯沢耕太郎(2)


写真評論家・飯沢耕太郎



写真のことを書く仕事


―― 写真評論家として、先生は一年におよそ何冊くらい、本を出していらっしゃるんですか。


飯沢 平均して二~三冊じゃないかな。以前は詩も書いていたんだけれどね(笑)。大学時代、『螺旋』という同人誌があって、『現代詩手帖』にも詩を投稿していて、名前は一部では知られていたんですよ。


―― 大学時代は日芸で過ごされて、その後、筑波の大学院に進まれましたよね。それから、博士論文を筑摩書房から本にされて。


飯沢 そのあたりの話は、『写真評論家』という本にも書いたんだけれど、さっき言った『螺旋』の同人の一人に偶然、国会図書館で会ってね。この人は当時、東大を出て、筑摩書房に勤めていたんです。僕が博士論文を書いていることを話したら、「後で見せてくれ」って話しになって。それで、できたのを見せたら、「本にしよう」っていうことになったんです。それにしても当時は、文科系の博士論文は、プレッシャーが大きくて出しにくい状況だったよね。


―― 当時の筑波の大学院というのはどのような感じでしたか?


飯沢 筑波では、僕の同期はひとりしかいなかった。大学院には、ドクターを入れると通常五年のはずなんだけれど、七年いました。


―― ちなみに学費はどのくらいでしたか?


飯沢 よく覚えていないけれど、そんなには高くなかった。五年間は、育英会から奨学金を貰っていて。ついこの間、二〇何年かけてやっと返し終わったよ(笑)。


―― 先生のように、博士論文を本にされて、評論家として一本立ちしてやっていくというのは、多くの学生にとっては夢だと思います。


飯沢 博士論文を書いたのは、三〇才前でした。日芸のときは写真学科だったけれど、筑波に入って、写真のことを書く仕事へと方向転換したんです。


 思うんだけれど、フリー向きの体質というのもあるからね。まず、仕事が早くなければ。集中力とスピードが肝心。僕はせっかちだから。A型だし(笑)。


 それから、大事な要素は、ポジティブなこと。それと、若いころは、やはり、出会いが大事だったりするよね。僕の場合、ラッキーな出会いがあって、さっき話した筑摩の編集者との出会いもそうだし、それから、うちの奥さんとは、大学院のときに既に同棲していたし。うちの奥さんはもともと編集者で、いまは文章も書いています。


―― 先生の本はとても読みやすくて、面白いのですが、文章力はどうやって身に付けたのですか。


飯沢 言葉に対する運動神経というものがあるんじゃないのかな。五~十枚の文章を頼まれたとすると、まず、文章全体の輪郭が見えてくる。五枚で書けと言われたら、五枚に合わせた全体像が見える。ただ、書いていて、変わってくることはあるけれどね。


 書くべき材料があって、この場で書けと言われて書けなければ、フリーとしてはまず無理。あと、どこでも書けるというのは大事だよね。普段、僕は書斎なんて使わないもの。立派な環境でしか書けないなんて、幻想だよ。

写真評論家・飯沢耕太郎(3)


写真評論家・飯沢耕太郎


写真と言葉


―― 先生は学生時代、詩も書いていらっしゃったそうですが、言葉というものと写真との関わりは、どうお考えですか。映画、絵、写真など、意外に、なにをやるにしても、言葉というものが大事になってくると思うのですが。


飯沢 映像芸術と言葉の芸術って、メディアの成り立ちの時点では、求められるものが違っていたと思うんです。しかし、どこかで共通する部分はある。人間のものの見方、世界観を表現するあり方としての共通性があるよね。


 写真家の書いた文章を読むと、その人がよく出ていることが往々にしてあるんですよ。精神的・身体的な身構え方という部分においては、言葉でも映像でも、共通している部分がある。例えば、文章を書くことを専攻している学生が、写真を撮ってもいいわけです。たぶん、その方が、写真を専門とする学生の作品よりも、面白いものができると思うんだよね(笑)。教科書的なものを逸脱しているわけだから。


 それに、今はデジカメの時代でもあるし、うまく生かすといいものができると思うよ。大前提として、デジカメ時代以降の写真のあり方というものがあるよね。これまで築かれてきた写真の歴史や写真の見方、こういうものを、一度チャラにしないといけないと思います。今は模索の時代ですからね。


 その一方で、ブログなんかを見ていても、結局どの写真も同じに見えてくるじゃない。だからある意味、かえって不自由な時代なのかもしれないね。


―― これからは、沢山ある写真を「読む」時代かもしれませんね。それから、写真に言葉をつけてもいいし、ある言葉からイメージして写真を撮ってもいいですね。


飯沢 この前、日経新聞に「写真俳句」というのが紹介されていた。とても流行っていて、写真と俳句を一緒に印刷できる特別なプリンターも売れているんだって。


―― 技術の発達という側面で言うと、ボタンを押すと「アラーキー」風の写真が撮れたりとか(笑)。いずれそうなってくるんでしょうか。理屈より実践の時代になってきている感があります。


飯沢 そんなアナーキーな状態の中から、表現のジャンルとして固定していかないといけないわけなんだけれど、その固定が難しくなってきていますね。価値判断の原理・原則が立たない限りは固定できないわけだけれど、じゃあ、誰がどういう基準で判断するの、って話になる。それが見えないわけだから。

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写真評論家・飯沢耕太郎


価値基準の崩壊


――写真の価値基準について、もう少し詳しく聞かせてください。


飯沢 いまや、かつての価値基準は通用しません。かつての価値基準というのは、たとえば、きれいな写真を撮ることだとか、構図、焼き方がすばらしいだとか、そういう話。でも、そういう基準はもう、壊れてしまっていて、その瓦礫をかき集めてなにかを作っているという状態です。


 では、面白ければなんでもいいのかという話になるけれど、そうもいかない。僕自身も近代写真(モダンフォトグラフィー)の価値基準で育ってきているわけだしね。全否定するわけではないけれど、新しい時代の価値基準がまだ作れていないんだよね。


 九〇年代以降、写真が現代美術の一分野になってしまった。そうすると、写真が現代美術の文脈の中で語られるということが多くなってきた。だけど、あらゆる写真がその中に納まってしまうのかと言われると、そういうわけでもない。微妙なジャンルの棲み分けは、今でもあると思います。


 文学の場合、ジャンルの流動や格差というものは、写真や美術の比ではないでしょう。それこそ、文学といっても、純文学からエンターテイメントまであるわけだし。ようやく写真がそういうふうになってきたという言い方もできます。


 僕は純粋な人ではないから(笑)、純文学一本槍だとか、そういうふうにやるつもりは全然なくてね。なるべくならば、写真というジャンルのなかに、色々な価値基準があるんだということを、うまく整理し、伝えていきたいと思っています。


―― そういえば、最近、梅佳代ちゃんの写真がすごく人気がありますよね。ある意味、気のぬけた写真で、面白いですよね。あの方も、価値判断の基準のところをすり抜けて出てきた人ですよね。


飯沢 彼女は、まず、キャラクターが面白いよね。今は、「誰でも撮れそう感」というものが大事なのかもしれない。


 それにしても、一見、撮れるようでなかなか撮れない写真があれだけ集まっているということは、ある意味、奇跡的ですよ。彼女には、変な眼力があるのかもしれないな。普通の人が、一年に一枚しか撮れない写真を、沢山撮ってしまうわけだし。ああいう写真集が五~十万部売れるというのは、なかなか面白い時代だと思います。

写真評論家・飯沢耕太郎(5)

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キノコへの情熱


飯沢 実は僕、キノコの切手マニアなんだけれど(笑)。写真評論家としての衝動とはまた別のところを、それで満たしていたりします(笑)。


―― キノコって、男性的でも、女性的でもあるから面白いですよね。


飯沢 むしろ、キノコは性を超越しているといえるよ。胞子によって繁殖していく。我々は、男と女の二つしかないけれど、キノコの場合、組み合わせが何万とあるんだよ。個体の差異が、ものすごくある。アナーキーな世界だね。僕の中では、写真評論と同居している部分もあるかな。


――そういえば、水爆や原爆もキノコ型ですね。キノコって、考えてみれば山の中で原爆を起こしているわけですよね。「ボン」と爆発して胞子を飛ばすわけですし。人間のペニスもキノコ型をしているということは、やはり本質は爆発なんでしょうね。


飯沢 キノコは、人類を超えているんです。人類誕生以前に、子菌類という菌類がすでに存在していたから、宇宙的である。もしかすると、地球自体がキノコなのかも。キノコの側から世界を見直す哲学というのも面白いよね。菌は負けませんからね。


―― 人類も、実はキノコなのかもしれませんね。


飯沢 キノコ研究のまず手はじめに、『世界のキノコ切手』(プチグラ・パブリッシング)という本が出ます。

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天才・アラーキーについて


―― 話はキノコから変わりますが、飯沢先生が荒木経惟さんの写真評論を出されたころは、彼の写真集はそれほど出ていなかったけれど、今は、三〇〇冊以上はありますね。


飯沢 彼の作品を論じる場合、必ずしもその写真集三五七冊を全部読まなくてもいいと思いますね。一枚の写真からでも、充分に語ることはできます。


 彼は、僕の百倍はせっかちで、なにかをやっていないと落ち着かないタイプなのかもしれない。


彼は、天才として生まれたわけではなく、自分で言いはじめた「天才」で、まさに「天才」になった、なりきった人間です。彼には色々教えてもらって、それで、だんだん写真のことが分かってきた。荒木さんがやってきたこと、やろうとすることというのは、ほぼすべて、写真の中で一番面白いことのひとつだと思うね。


――文学の場合、死んでしまった作家については書いてもいいけれど、生きている人間について書くと、差し障りが出てくる場合があります。アラーキーと交渉をもって、すでに友人関係が成り立っているときに、「ここまで書いていいのか」と悩むことはありますか。


飯沢 ありますよ。僕は荒木さんに関しては、他の人とは少し違うというふうに考えているところがあります。正直言って、彼の悪口は書きたくない。特別なところに置いておきたい。仕事の上で、見ていてそんなに面白くない部分もないわけではないんだけれど、そのことを取り立ててネガティブに書きたいとは思いませんね。


―― 写真論と写真家論ってあるじゃないですか。作家論と作品論。荒木さんについて、そこのところはどう思いますか。


飯沢 彼の場合、実人生から切り離したかたちでの写真論があるべきだと思います。僕の仕事ではないけれど、誰かがやるべきだと思う。例えば、荒木さん自身の姿を撮った写真であっても、カメラは彼のものだから、彼の写真になってしまう。たまに僕に撮らせたりするんだけれど(笑)。そういう構造を、まず作ってしまっているんです。荒木ではなく、「アラーキー」という記号なわけだから、どんなモラルも踏み越えてゆくんです。


 アラーキーというブランドは、八〇年代から、ウォーホール的になってきてますね。いわば荒木ファクトリー。ファクトリーじゃないと、あんなに生産できないよね。


 アラーキーという記号が動いていくなかで生産されていく形そのものが面白くて、そのことと、彼の奥さんが亡くなったという実人生との間に、境目がない。その境目のなさが、また面白い構造になっていて。ウォーホールの場合、彼本人の実像や肉体性はあまり出てこないけれど、荒木さんの場合、それも出てくる。非常に日本的なファクトリーですよね。


 だから、周りにいる僕らも含めて、彼との繋がりは「情」なんだよね。論理ではなくて。僕自身はあまり、義理と人情の世界に巻き込まれたくないというのがあるんだけれど(笑)。

写真評論家・飯沢耕太郎(7)

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故郷は、本を書いている場所


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――「情」というのは、案外、日本のすべての組織の根底ですね。


飯沢 僕の場合、この「情」に、完全には巻き込まれたくないという気分が、学生時代からあったのかもしれない。この前、立教大学でレクチャーしたとき、講師紹介で「彼の本質は旅人です」と言われ、妙に納得してしまったんだけれどね。旅に出ないと、もたないところもあって・・・


 旅と人生の違いとしては、旅とは、また戻ってくる場所があるということ。それと、その日泊まる場所をあらかじめ決めていないことが前提ですね。そうじゃないと、ただの旅行になってしまう。何十年も旅している人に、たまに出会うけれど、見ていて悲しくなってくる。彼らは、「いかに効率よく移動するか」ということしか考えていないんだよね。


 日芸も、僕にとっては、旅のなかのひとつの滞在地に過ぎないのかもしれません。じゃあ、故郷はどこなのかと言われると、自分にも分からない。強いて言えば、自分の家になるのかな。故郷という意味においては、本を書いている場所というのが、その人にとっての故郷なのかも。


 僕の場合、うちの食卓で書いているんです。周囲が適当にざわついていた方が書けるよね。それから、本の資料は、山の中から探さなければ駄目。これは持論なんだけれど、乱雑に散らかった資料を探している間に、刺激がくる。下手に部屋を掃除しちゃ、駄目(笑)。

 
―― それでは最後に、質問を・・・・ 今の先生にとって、一番怖いものはなんですか。


飯沢 生きていて、強迫神経めいた、ある種の不安感はあるよね。やはり、手や頭が使えなくなることへの不安が、恐いかな。なにかをやっていることで、存在の不安を紛らわせているということはあるけれど、存在することへの、よるべなさ、頼りなさがいつもあるよね。旅に出たりするのも、それが根底にあるからなのかもしれない。


―― では、楽しいことは?


飯沢 人に褒められて楽しいというよりも、自分がなにかをやっていることへの楽しさがあります。夜中に自分の書いた文章を読んでいて、あまりにもうまく書けているから、踊りだしたりしてね(笑)。


 ものを書いている人間って、みんなある種のうぬぼれ感があるよね。自分のなかでの盛り上がり。それが楽しいよね。一番最初に本を出したとき、誰かが僕の本を買っている現場を見たときは、本当に、嬉しかったな。


―― 飯沢先生、今日は本当にどうもありがとうございました。


インタビュアー 山下聖美
テープ起こし 栗原隆弘
編集 山下聖美